ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 安曇野市ゆかりの先人たち > 斉藤 茂|安曇野ゆかりの先人たち

斉藤 茂|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

斉藤 茂の写真

拡大表示

斉藤 茂
さいとう しげる

「野の哲人」といわれ、雑誌「山上」発刊。研成義塾で学ぶ。

生年月日1887年(明治20)
没年月日1974年(昭和49)
関連地域堀金(穂高で寮生活を送る)
職業・肩書評論家・農業
活躍年大正時代
ゆかりの分野文化(学術思想)

 

経歴

堀金扇町に生れました。研成義塾に入塾し、2年間修学した後、農事の傍ら「萬朝報」「文章世界」等に小品を投稿し、1905年(明治38)、2・3の同志と雑誌「天籟」を発行し、信仰に関する論説を連載しました。翌年に研成義塾に再び入塾し、その後、新潟県の歩兵連隊を経て、文学芸術を愛好する農業従事者となることを決めました。1910年(明治43)、ドイツ語の研修に励みながら、1916年(大正5)まで「創作」「信濃毎日新聞」等に随想や評論をしきりに投稿しました。翌年には、ハインリヒ・フォン・トライチュケの「普魯亜(プロシャ)勃興史」の翻訳を依頼され、次の年に完了し刊行されました。雑誌「山上」で、桐生悠々・植原悦二郎・荻原碌山・島木赤彦らの寄稿を得て、10号まで発行し、「井口喜源治」の編集・発行等も行いました。

略歴譜

1887年(明治20)0歳堀金扇町に生れる。
  研成義塾に入塾し、2年間修学する。
1905年(明治38) 2・3の同志と雑誌「天籟」を発行し、信仰に関する論説を連載する。
1906年(明治39) 研成義塾に再び入塾する。
1910年(明治43) ドイツ語の研修に励みながら、1916年(大正5)まで創作「信濃毎日新聞」等に随想や評論をしきりに投稿する。
1917年(大正6) 世界興亡史論刊行会からハインリヒ・フォン・トライチュケの「普魯亜勃興史」の翻訳を依頼され1918年(大正7)に完了し刊行される。
1920年(大正9) 雑誌「山上」を創刊、平凡人としの立場から社会や人生の真底に眼をすえ、大戦後の政治・社会・思想等への関心を訴える。
 雑誌「山上」は、桐生悠々・植原悦二郎・荻原碌山・島木赤彦等の寄稿を得て、10号まで発行される。
1930年(昭和5) 南安曇教育会の哲学講習会の講師を務める。
1953年(昭和28) 「井口喜源治」の編集に当り発行する。
1966(昭和41)から
1968年(昭和43)
 20歳頃からの論説・随想・翻訳文等を集録し、「わが日わが道」4篇を出版する。
1974年(昭和49)87歳亡くなる。

参考文献

穂高町誌穂高町誌編纂委員会/編安曇野市立図書館
堀金村誌堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編安曇野市立図書館