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倉科 多策|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052230 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

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倉科 多策
くらしな たさく

明科駅・国営明科製材所・県営養鱒場設置に尽力。

生年月日 1865年(元治2)1月31日
没年月日 1939年(昭和14)11月21日
関連地域 明科(明科)
職業・肩書 自治功労者
活躍年 昭和時代
ゆかりの分野 社会(社会事業)

 

経歴

明科中川手明科に生れました。1926年(大正15)に、私財5万円を投じ、湧水を利用して中川手の竹田信平と明科養鱒場を設け、長野県に無償で貸与しました。さらに年々数千円を寄附し、養鱒(ようそん)事業の達成に努力し、親魚の池中養成に成功しました。1931年(昭和6)には、全国河川養殖研究会長より表彰されました。この他に、県水産指導所の設置・明科駅の招致・明科国営製材所の招致及び敷地の払い下げ・明科水力発電所の設置・明科簡易水道敷設・白馬自動車の明科誘致等で尽力しました。また、私財を投じて県へ働きかけ、犀川堤防設置・わさび栽培の発展・明科駅前の公園設置等に貢献しました。安曇の政治にも力を入れ、県道槍ヶ岳線の開発の先頭に立ち、多くの安曇の名士達が多策氏を訪れました。

略歴譜

1865年(元治2)1月31日 0歳 明科中川手明科に生れる。
1926年(大正15)   私財5万円を投じ、湧水を利用して中川手の竹田信平と明科養鱒場を設け、長野県に無償で貸与する。
    年々数千円を寄附し、養鱒場の達成に努力し、親魚の池中養成に成功する。
1931年(昭和6)   全国河川養殖研究会長より表彰される。
    県水産指導所設置・明科駅招致・明科国営製材所招致と敷地払下げ・明科水力発電所設置・明科簡易水道敷設等に尽力する。
    私財を投じて県へ働きかけ、犀川堤防設置・わさび栽培の発展・明科駅前に公園の設置等に貢献する。
    明科より池田へ私鉄を敷設しようとしたが、地元の反対にあって断念し、白馬自動車を明科へ誘致する。
    安曇の政治にも力を入れ、県道槍ヶ岳線の開発の先頭に立ち、多くの安曇の名士たちが多策氏を訪れる。
    若者に「無から有を生み出す闘志を持たねばならぬ」と説教する。
1939年(昭和14)11月21日 74歳 亡くなる。

参考文献

東筑摩郡・松本市・塩尻市誌別篇人名 東筑摩郡・松本市・塩尻市/編 安曇野市立図書館
明科町史 明科町史編纂会/編 安曇野市立図書館

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