多田 加(嘉)助|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052235 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新
多田 加(嘉)助
ただ かすけ
1686年(貞享3) 貞享騒動を指揮(安曇野の民権の先駆け)。
生年月日 | 1639年(寛永16)12月 |
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没年月日 | 1686年(貞享3)11月22日 |
関連地域 | 三郷(中萱) |
職業・肩書 | 庄屋 |
活躍年 | 江戸時代以前 |
ゆかりの分野 | 社会(社会事業) |
経歴
三郷中萱に生れました。襲名して加(嘉)助と改め、庄屋役に就きました。
1684年(貞享1)2月、天和年間からの凶作が続き、年貢の軽減を長尾組手代に申し出ましたが、意を得なかったため、藩に陳状しました。陳状を受けた藩の年寄役土方縫殿之助は、よろしく取り計らうことを約束しましたが、家老鈴木主馬等の奸策(かんさく)にかかり、庄屋を免ぜられました。1686年(貞享3)、凶作と疫病が併発し、餓死者も発生しましたが、藩では却って収納を過酷にしました。加(嘉)助は、安筑両郡の同志と協議して、五か条の愁訴状を作り、12名で奉行所に提出しました。安筑両郡の民衆4,000人と共に、松本城下に参集し、訴状を受け容れなければ江戸へ直訴の勢いも示しました。家老の名義で願意が聴訴され、村へ引き上げましたが、藩に欺かれ、強訴の罪として主謀者が捕縛されました。11月22日、主謀者加(嘉)助以下8人が磔刑(たっけい)に、家族等20人は獄門の刑に処せられました。
略歴譜
1639年(寛永16)12月 | 0歳 | 三郷中萱の庄屋多田加(嘉)助の長男に生れる。幼名は三蔵。 |
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1664年(寛文4) | 襲名して加(嘉)助と改め、庄屋役に就く。 | |
前領主松平直政の家臣で、陽明学派第一人者の丸山文左衛門が、賓客として加(嘉)助の家にいる。 | ||
1684年(貞享1)2月 | 44歳 | 天和年間からの凶作が続き、年貢の軽減を長尾組組手代に申し出るが、意を得なかったため、藩に陳状する。 |
1684年(貞享1)2月 | 44歳 | 藩の年寄役土方縫殿之助は、陳情の内容を約束したが、家老鈴木主馬の奸策にかかり、土方縫殿之助は閉門に処せられる。加(嘉)助は、庄屋役を免ぜられる。 |
1686年(貞享3)10月10日 | 46歳 | 凶作と疫病が併発し、餓死者も発生したが、藩は却って収納を過酷にしたため、安筑両郡の同志と協議して、五か条の愁訴状を作る。 |
1686年(貞享3)10月13日 | 46歳 | 12名で五か条の愁訴状を奉行所に提出する。 |
1686年(貞享3)10月14日 | 46歳 | 安筑両郡の民衆4,000人と共に、松本城下に参集し、訴状を受け容れなければ江戸へ直訴の勢いも示す。 |
1686年(貞享3)10月18日 | 46歳 | 家老の名義で願意が聴訴され、加(嘉)助一同は遥かに藩庁を拝謝する。 |
1686年(貞享3)10月20日 | 46歳 | 藩に欺かれ、強訴の罪として、主謀者が捕縛される。 |
1686年(貞享3)11月22日 | 46歳 | 安曇側は勢高で、筑摩側は出川の原で、主謀者加(嘉)助以下8人が磔刑に、家族等20人は獄門の刑に処せられる。 |
1992年(平成4)11月20日 | 三郷中萱に貞享義民記念館が開館する。 |
参考文献
南安曇郡誌第三巻下 | 南安曇郡誌改訂編纂会/編 | 安曇野市立図書館 |
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三郷村誌1 | 三郷村誌編纂委員会/編 | 安曇野市立図書館 |
三郷村誌2 | 三郷村誌編纂委員会/編 | 安曇野市立図書館 |
貞享義民記念館所蔵資料 |