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滝沢 九郎兵衛|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

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滝沢 九郎兵衛
たきざわ くろべえ

明科大足の庄屋。大凶作の際、穀物600俵を飢餓に苦しむ人々に貸与する。また、清水山光久寺の薬師堂再建に尽力する。

生年月日不詳
没年月日1710年(宝永7)
関連地域明科(潮)
職業・肩書庄屋
活躍年江戸時代以前
ゆかりの分野経済(産業)

 

経歴

潮山中の滝沢氏の出であるといわれています。1654年(承応3)ころ、大足に来て間もなく、川手1、2の富豪となりました。1674年(延宝2)に大凶作が発生し、近在から買い入れてあった麦・米穀物600俵を、飢餓に苦しむ人々に貸与しました。貞享年間には払い庄屋となり、近在から米を買うようになりました。1690年(元禄3)、願主となり、大町の工匠曽根原安右衛を棟梁に頼み、荒廃していた清水山光久寺の薬師堂を立派に再建しました。元禄年間の山崩れで旧宅は埋もれ、現在地へ広大な本棟造りの板屋を建てました。1699、1700年(元禄12、13)に凶作が起り、毎年160両余の大金と穀物を川手の飢餓に苦しむ人々に貸与しました。1702年(元禄15)には、釈迦石仏を奉納した宝塔を建てました。

略歴譜

  潮山中の滝沢氏の出であるといわれている。
1654年(承応3) 大足に来て間もなく、川手1、2の富豪となる。
1674年(延宝2) 大凶作が発生し、近在から買い入れてあった麦・米穀物600俵を、飢餓に苦しむ人々に貸与する。
貞享年間 払い庄屋となり、近在から米を買うようになる。
1690年(元禄3) 願主となり、大町の工匠曽根原安右衛を棟梁に頼み、荒廃していた清水山光久寺の薬師堂を立派に再建する。
1690年(元禄3) 馬改帳では、13頭の馬を所有している。
元禄年間 山崩れで旧宅は埋もれ、現在地へ広大な本棟造りの板屋を建てる。
1699年(元禄12)、1700年(元禄13) 凶作が起り、毎年160両余の大金と穀物を川手の飢餓に苦しむ人々に貸与し、多くの人を救う。
1702年(元禄15) 釈迦石仏を奉納した宝塔を建てる。
1705年(宝永2) 水野忠直が江戸川普請を仰せ付けられた時は、150両を御用立てする。
1710年(宝永7) 亡くなる。

参考文献

明科町史明科町史編纂会/編安曇野市立図書館