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竹田 信平|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

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竹田 信平
たけだ しんぺい

中川手村長。わさび栽培を導入し、倉科多策と共同で養鱒場の設置に尽力する。

生年月日1878年(明治11)1月23日
没年月日1946年(昭和21)8月28日
関連地域明科(塔ノ原)
職業・肩書自治功労者
活躍年大正時代
ゆかりの分野経済(産業)

 

経歴

明科塔ノ原に生れました。村会議員となった後、1923年(大正12)、中川手村長に就任し、8年間勤務しました。日露戦争に従軍し、遼陽の戦で決死隊の分隊長として負傷し、金鳩(きんし)勲章を授けられました。御法田の耕地整理組合長として、開発整理をし、大正末年に、わさび栽培を塔ノ原側へ導入しました。1926年(大正15)、倉科多策と共同で養鱒場の設置をし、県水産指導所の前身となりました。
信仰心が深く、お宮の裏を通っても礼拝しました。親分肌のところや、また人情にもろい面もあり、日露戦争の決死隊出発の際の話等を涙ながらに、何回も人に聞かせました。1946年(昭和21)8月28日に、亡くなりました。

略歴譜

1878年(明治11)1月23日0歳明科塔ノ原に生れる。
  村会議員となる。
1923年(大正12) 中川手村長に就任し、8年間勤務する。
  日露戦争に従軍し、遼陽の戦で決死隊の分隊長として負傷し、金鳩勲章を授けられる。
  御法田の耕地整理組合長として、開発整理をし、大正末年に、わさび栽培を塔ノ原側へ導入する。
1926年(大正15) 倉科多策と共同で養鱒場の設置をし、県水産指導所の前身となる。
信仰心が深く、親分肌のところや、また人情にもろい面もあり、日露戦争の決死隊出発の際の話等を涙ながらに、何回も人に聞かせる。
1946年(昭和21)8月28日68歳亡くなる。

参考文献

明科町史明科町史編纂会/編安曇野市立図書館