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竹内 市郎兵衛昭長|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

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竹内 市郎兵衛昭長
たけうち いちろべえあきなが

長尾組の大庄屋として、農業の振興に尽す。寺子屋を開き、学問を奨励する。

生年月日1744年(延享1)
没年月日1819年(文政2)
関連地域三郷(中萱)
職業・肩書大庄屋・教育功労者
活躍年江戸時代以前
ゆかりの分野経済(産業)

 

経歴

三郷中萱の大庄屋の家に生れました。教育分野でも業績をあげました。幼い時から学問を好み、和漢の学を修め、書を能(よ)くし、刀槍や射術も習得しました。1768年(明和5)に大庄屋を命ぜられ、名字帯刀を許され、1778年(安永7)まで長尾組17か村を治めました。職務に熱心で組内の教化に努め、領内の模範でした。常に農業の振興に意を注ぎ、増産の方途を考え、年貢を滞納しないよう指導しました。1778年(安永7)、大庄屋の職を譲ろうと、辞表を松本藩に提出したところ、組内の人は惜しがり、庄屋・組頭の人達が連名で、留任の嘆願書を隣組の大庄屋藤森善兵衛を通じて松本藩に提出した程でした。また、学問を奨励し、自宅を寺子屋にして読み書き算盤を教えました。1819年(文政2)に、75歳で亡くなりました。

略歴譜

1744年(延享1)0歳三郷中萱に生れる。
  幼い時から学問を好み、和漢の学を修め、書を能くし、刀槍や射術も修得する。
1768年(明和5) 大庄屋を命ぜられ、名字帯刀を許され、1778年(安永7)まで長尾組17か村を治める。
 組内の教化に努め、領内の模範となる。常に農業の振興に意を注ぎ、増産の方途を考え、年貢を滞納しないよう指導する。
 学問を奨励し、自宅を寺子屋にして読み書き算盤を教える。
1778年(安永7) 大庄屋の職を譲ろうとしたところ、組内の人が惜しがり、留任の嘆願書が松本藩に提出される程だった。
1819年(文政2)75歳亡くなる。

参考文献

三郷村誌1三郷村誌編纂会/編安曇野市立図書館

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