鳥羽 紋左衛門|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052056 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新
鳥羽 紋左衛門
とば もんざえもん
藩の役人の案内役。俳人・画家であり、狂歌も詠んだ。
生年月日 | 不詳 |
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没年月日 | 1881年(明治14)3月11日 |
関連地域 | 明科(峰方竹ノ惣) |
職業・肩書 | 歌人 |
活躍年 | 江戸時代以前 |
ゆかりの分野 | 文化(文芸) |
経歴
明科峰方竹ノ惣に生れ、号は梅迺の屋花丸と称しました。狂歌・俳句・絵画を能(よ)くし、行脚を好み諸国を回りました。村内では、藩の役人の案内役をし、即興的に歌を作り、役人を驚かせました。検地役人を案内した時には、「水縄を久振りにてあずま路へ ごぶんけんごで帰る大君」と狂歌を詠みました。このほかにも、山中で狂歌を詠みました。1881年(明治14)3月11日に亡くなりました。竹ノ惣観音堂内には、庚申(こうしん)の掛軸があり、裏の墓碑には、「時知れぬ無常の風に誘われて、ゆくぞうれしき花の浄土へ」と辞世の歌が刻まれています。
略歴譜
生年不詳 | 明科峰方竹ノ惣に生れる。号は、梅迺の屋花丸と称する。 | |
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狂歌・俳句・絵画を能くし、行脚を好み諸国を回る。 | ||
村内では、藩の役人の案内役をし、即興的に歌を作り、役人を驚かせる。 | ||
検地役人を案内した時に、「水縄を久振りにてあずま路へ ごぶんけんごで帰る大君」と狂歌を詠む。 | ||
1881年(明治14)3月11日 | 亡くなる。 | |
竹ノ惣観音堂内に、庚申の掛軸があり、墓碑に「時知れぬ無常の風に誘われて、ゆくぞうれしき花の浄土へ」と刻まれている。 |
参考文献
明科町史 | 明科町史編纂会/編 | 安曇野市立図書館 |
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