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田中 耕|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052053 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

田中 耕
たなか こう

薬剤師。衆議院議員として2期6年、国会で活躍した後、豊科町長として町政に尽す。その後、長野県薬剤師会会長として、医薬分業体制等の実現に貢献する。

生年月日 1897年(明治30)
没年月日 1969年(昭和44)
関連地域 豊科(出生地 池田町会染)
職業・肩書 保健行政功労者
活躍年 昭和時代
ゆかりの分野 社会(医療厚生)

 

経歴

池田町会染に生れました。長野師範第三種講習所(現信州大学教育学部)に学び、1917年(大正6)に明治薬学校(現明治薬科大学)を卒業し、薬剤師となりました。1921年(大正10)、豊科で薬局を開業しました。1936年(昭和11)、推されて衆議院議員に当選し、1942年(昭和17)まで2期6年、国会で活躍しました。戦時中は、植原悦二郎と共に政治活動をし、当時の大政翼賛政治体制に頑としてくみせず、ついに三期目を果せませんでした。終戦後、望まれて豊科町長に就任しました。1957年(昭和32)から1964年(昭和39)まで4期8年、長野県薬剤師会会長を務め、学校保健法改正(学校に薬剤師を置く)、医薬分業体制の実現に貢献しました。1969年(昭和44)、72歳で亡くなりました。

略歴譜

1897年(明治30) 0歳 池田町の会染に生れる。
    長野師範第三種講習所に学ぶ。
1917年(大正6)   明治薬学校を卒業し、薬剤師となる。
1921年(大正10)   豊科で薬局を開業する。
1942年(昭和17)   推されて衆議院議員に当選し、1942年(昭和17)まで2期6年、国会で活躍する。
  戦時中、植原悦二郎と共に政治活動をする。
  終戦後、望まれて豊科町長に就任する。
1957年(昭和32)   1964年(昭和39)まで4期8年、長野県薬剤師会会長を務め、学校保健法改正(学校に薬剤師を置く)、医薬分業体制の実現に貢献する。
1969年(昭和44) 72歳 亡くなる。

参考文献

豊科町誌 豊科町誌編纂会/編 安曇野市立図書館

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