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等々力 いく|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052047 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

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等々力 いく
とどりき いく

東宮妃等皇族の看護。日本赤十字社本社看護婦長。

生年月日 1873年(明治6)
没年月日 1951年(昭和26)
関連地域 穂高(等々力)
職業・肩書 看護士
活躍年 明治時代
ゆかりの分野 社会(医療厚生)

 

経歴

穂高等々力に生れました。1896年(明治29)、日本赤十字社長野支部看護婦第13期生として入社し、1899年(明治32)に卒業して、東京の本社に転勤し、その後、看護婦長となりました。1911年(明治44)に、東宮妃御大患の時、3か月間にわたって御看護に当り、秩父宮・高松宮両殿下が御病気の都度、参殿し看護しました。三度従軍徽章(きしょう)を賜り、功によって勲七等宝冠章を拝授して、1925年(大正14)、ヘルシンキの万国赤十字看護婦会議に日本代表として出席し、万国赤十字社から、わが国4人目のナイチンゲール章を授与されました。後に、下田歌子が校長であった実践女学校に講師として招かれ、看護学の講座を担当しました。1946年(昭和21)に、日本赤十字社有功章を授与されました。

略歴譜

1873年(明治6) 0歳 穂高等々力に生れる。
1896年(明治29)   日本赤十字社長野支部看護婦第13期生として入社する。
1899年(明治32)   日本赤十字社長野支部看護婦第13期生を卒業し、東京の本社に転勤する。
    東京の本社で看護婦長となる。
1911年(明治44)   東宮妃御大患の時、3か月間御看護に当る。
    三度従軍徽章を賜り、功によって勲七等宝冠章を拝授する。
    秩父宮・高松宮両殿下が御病気の都度、参殿し看護する。
1925年(大正14)   ヘルシンキの万国赤十字看護婦会議に日本代表として出席し、万国赤十字社からわが国4人目のナイチンゲール章を授与される。
    下田歌子が校長であった実践女学校に講師として招かれ、看護学の講座を担当する。
1936年(昭和11)   郷里に戻る。
1946年(昭和21)   日本赤十字社有功章を授与される。
1951年(昭和26) 78歳 亡くなる。

参考文献

南安曇郡誌第三巻下 南安曇郡誌改訂編纂会/編 安曇野市立図書館

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