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藤岡 甚三郎|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

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藤岡 甚三郎
ふじおか じんざぶろう

蚕種究理の法を発見し、秋蚕種飼育の実用化の道を拓(ひら)く。

生年月日1839年(天保10)
没年月日1892年(明治25)7月18日
関連地域三郷(中萱)
職業・肩書蚕業功労者
活躍年明治時代
ゆかりの分野経済(産業)

 

経歴

三郷中萱に生れました。ある年、蚕種を東信方面へ販売に行った帰り道、武石峠近くの茶屋で休み、貯蔵を依頼した蚕種が、偶然秋蚕として飼育できたことを機に、蚕種研究を思い立ちました。翌年から実験を始め、2年は失敗しましたが、3年目に、一つは発生まで武石峠に置き、一つは発生数日前に自宅に持ち帰って掃立てたところ、後者は実験に成功しました。蚕種の発生する温度を知るため、武石峠で3年間温度を測定し、1874年(明治7)、自宅に地下室を2室設け、蚕種発生の試験を行いました。その後、稲核の前田亀市の風穴での試験を重ねて、良い結果を得ました。この究理の「催青法」は、永井新太郎等の研究と相まって、秋蚕種飼育の実用化の道を拓きました。

略歴譜

1839年(天保10)0歳三郷中萱に生れる。
  武石峠近くの茶屋に貯蔵を依頼した蚕種が、偶然秋蚕として飼育できたことを機に、蚕種研究を思い立つ。
  翌年、再び生種を得ようとして同所に貯蔵し掃立てるが、すべてかえり種となる。
  翌々年も同様の結果となる。
  3年目に、一つは発生まで武石峠に置き、一つは発生数日前に自宅に持ち帰って掃立てた結果、後者はかえり種となる。
  翌年も同様に成功する。
  蚕種の発生する温度を知るため、武石峠で3年間温度を測定する。
1874年(明治7) 自宅に地下室を2室設け、蚕種の発生の試験を行う。
  稲核の前田亀市の風穴に蚕種を入れ試験を重ねて、良い結果を得る。
  変性予防法の「窮理法」を世に広めようと、「風穴蚕種の説明」を著す。
  究理の「催青法」は、永井新太郎・高橋伊勢次郎・渡辺勘次・小池弘三等の研究と相まって、秋蚕種飼育の実用化の道を拓く。
1892年(明治25)7月18日53歳亡くなる。

参考文献

南安曇郡誌第三巻下南安曇郡誌改訂編纂会/編安曇野市立図書館
三郷村誌1三郷村誌編纂会/編安曇野市立図書館