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藤原 紫花|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

藤原 紫花の写真

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藤原 紫花
ふじわら しか

郡下の俳壇に影響を及ぼした俳句宗匠。教育者。

生年月日1852年(嘉永5)
没年月日1921年(大正10)12月
関連地域堀金(岩原)
職業・肩書俳句宗匠・教育者
活躍年大正時代
ゆかりの分野文化(文芸)

 

経歴

堀金岩原に生れました。本名を義明といいました。幼い頃より寺子屋師匠について漢学を学び、創立当時の師範学校を多数の士族の子弟に混じって受験し合格しました。卒業後は、朝日小学校、美麻小学校を経て、中川手小学校長となり活躍しました。在職中から花本聴秋の門下となり、淡水園紫花と号し、松本地方における松崎秋稿・中村一水と共に選者の三大家と称せられました。
また、退職後は、郡会議員としても活躍したほか、書を能(よ)くし、請われて諸所の碑に筆を揮(ふる)いました。晩年は、家で農作業を行いながら句作にふけりました。1921年(大正10)12月に、病気のため亡くなりました。
主な作品:「引き残る汐の窪みに春の月」「藻の花や汐明りさす雨の中」

略歴譜

1852年(嘉永5)0歳堀金岩原に、父藤原與市・母るいの次男として生れる。本名を義明という。
  幼い頃より寺子屋師匠について漢学を学び、創立当時の師範学校を多数の士族の子弟に混じって受験し合格する。
  卒業後は、朝日小学校、美麻小学校を経て、中川手小学校長となり活躍する。
  在職中から花本聴秋門下となり、淡水園紫花と号し、松本地方で松崎秋稿・中村一水と共に選者の三大家といわれる。
  退職後は、郡会議員としても活躍する。
  書を能くし、請われて諸所の碑に筆を揮う。
  晩年は、家で農作業を行いながら句作にふける。
1921年(大正10)12月 病気のため亡くなる。

参考文献

堀金村誌堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編安曇野市立図書館