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内川 武雄|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

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内川 武雄
うちかわ たけお

中川手村長・県会議員等要職に就き、村・郡政に尽力する。また、松本医専(現在の信州大学医学部)の設置に努力し、実現させる。

生年月日1894年(明治27)12月14日
没年月日1967年(昭和42)2月26日
関連地域明科(塔ノ原)
職業・肩書自治功労者
活躍年昭和時代
ゆかりの分野経済(産業)

 

経歴

明科塔ノ原に生れました。北海道へ渡り、室蘭商業を卒業しましたが、20歳頃に帰村しました。中川手村青年会長、村会議員、農会長、助役に就任しました。1937年(昭和12)に県会議員となり、1947年(昭和22)まで勤めました。この間、1年間村長に就任し、消防組頭・国防婦人会長・三栄社理事・養蚕組合中川手支部長・県代議員・松筑耕地協会長等も務めました。犀川線の全通、明科・更埴線の県道編入、郡内の溜池・農道・水路の建設等の業績を残したほか、松本50連隊跡へ松本医専の設置を、熊谷村司と共に尽力して、実現させました。1967年(昭和42)2月26日、亡くなりました。

略歴譜

1894年(明治27)12月14日0歳明科塔ノ原に生れる。
  北海道へ渡り、室蘭商業を卒業する。
 20歳頃帰村する。
  中川手村青年会長、村会議員、農会長、助役に就任する。
1937年(昭和12) 県会議員となり、1947年(昭和22)まで勤める。
  この間、村長を1年間勤め、消防組頭・国防婦人会長・三栄社理事・養蚕組合中川手支部長・県代議員・松筑耕地協会長等も務める。
  犀川線の全通、明科・更埴線の県道編入、郡内の溜池・農道・水路の建設等の業績を残す。
  松本50連隊跡へ松本医専の設置を、熊谷村司と共に尽力して実現させる。
1967年(昭和42)2月26日72歳亡くなる。

参考文献

明科町史明科町史編纂会/編安曇野市立図書館