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二木 好晴|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052032 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

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二木 好晴
ふたつぎ よしはる

歌人。「潮音」幹部となり、後輩の指導に当る。「白夜」は、日本短歌雑誌連盟より優秀歌誌として表彰される。

生年月日 1903年(明治36)
没年月日 1994年(平成6)3月1日
関連地域 堀金(田尻)
職業・肩書 歌人
活躍年 昭和時代
ゆかりの分野 文化(文芸)

 

経歴

堀金田尻に生れました。15歳の頃から「日本少年」等に詩歌を投稿しました。小学校高等科を卒業して、農業の傍ら、雅号を蓼花(りょうか)・二葉等と称し、信毎歌壇その他の新聞雑誌に投稿しました。1920年(大正9)、「潮音」に入社し、1925年(大正14)から1972年(昭和47)までに、「刈萱集」に毎号10首程度が掲載されました。1926年(大正15)に、長野県巡査となり、上田署に勤務、以来、1961年(昭和36)まで県下各地に勤務しました。1967年(昭和42)に、日本短歌雑誌連盟より、優秀歌誌として「白夜」が表彰され、1973年(昭和48)には、勲六等単光旭日章を授与されました。堀金村の文化祭には、1955年(昭和30)以来、短歌部門の選者として、村民の作歌意欲の高揚に努めました。1991年(平成3)、米寿を記念として「遊想八十八年」を上梓(じょうし)しました。1994年(平成6)、91歳で亡くなりました。

略歴譜

1903年(明治36) 0歳 堀金田尻に生れる。15歳頃から「日本少年」等に詩歌を投稿する。
    小学校高等科を卒業して、農業の傍ら、雅号を蓼花・二葉等と称し、信毎歌壇その他の新聞雑誌に投稿する。
1920年(大正9)   「潮音」に入社する。
1925年(大正14)   1972年(昭和47)まで、「刈萱集」に毎号10首程度が掲載される。
1926年(大正15)   長野県巡査となり、上田署に勤務、以来、1961年(昭和36)まで県下各地に勤務する。
1928年(昭和3)   「潮音」を退社する。
1939年(昭和14)   特別社友として復帰する。
1944年(昭和19)   潮音同人となり、翌年、友人と短歌誌「青雲」を創刊する。
1948年(昭和23)   「露草」が創刊される。
  「露草」の選者となる。
1954年(昭和29)   「潮音」の幹部となる。
1955年(昭和30)   「露草」を退いて、「白夜」の創刊に参加する。
1955年(昭和30)   以来、堀金村の文化祭では、短歌部門の選者として、村民の作歌意欲の高揚に努める。
1967年(昭和42)   日本短歌雑誌連盟より、優秀歌誌として「白夜」が表彰される。
1973年(昭和48)11月3日   勲六等単光旭日章を授与される。
1976年(昭和51)8月   新年歌会始の陪聴を許される。600首を選び、歌集「霜・露」を出版する。
1991年(平成3)   米寿を記念として、「潮音」「露草」「白夜」と長い歌歴の中から、歌に関する評論を集めて、「遊想八十八年」を上梓する。
1994年(平成6)3月1日 91歳 亡くなる。

参考文献

堀金村誌 堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編 安曇野市立図書館

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