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白木 鉄平|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

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白木 鉄平
しらき てっぺい

医師、教師、村会・郡会議員。松岡平臣に学ぶ。

生年月日1860年(万延1)
没年月日1931年(昭和6)
関連地域三郷(一日市場)
職業・肩書医師
活躍年大正時代
ゆかりの分野社会(医療厚生)

 

経歴

1860年(万延1)、三郷一日市場に生れました。幼い頃、長尾村の松岡平臣について学び、その時に松岡千賀蔵と知り合い、氏について学ぶようになりました。教師となりましたが、この地方にコレラが流行して、親しい人達の死に直面し、40歳を過ぎていましたが医師になることを決心しました。上京して、医者の予備校の済生学舎(現日本医科大学)で基礎医学や臨床医学を学んで、医師国家試験に一回で合格しました。合格後、早速帰郷して開業しました。1913年(大正2)に村会議員に推され、村政に携わる一方、校医として児童の保健衛生の向上に尽力しました。在任中、この地方に腸チフスが流行し、防疫に努め、隔離病舎を建てました。また、郡会議員に選任されたり、県医師会の役員等も勤めたりしました。養蚕業の価格安定化や産業振興にも努力しました。

略歴譜

1860年(万延1)0歳三郷一日市場に生れる。
  幼いころ、長尾村の松岡平臣について学び、その時に松岡千賀蔵と知り合い、氏について学ぶようになる。
  松岡千賀蔵の寺子屋で、七日市場の三沢力太郎や穂高の相馬愛蔵等とキリストの教えや欧米の新しい学問や考え方を学ぶ。
  長尾学校の教師となった後、一日市学校に転勤となる。
  正教員の資格を取り、梓小学校に勤め、後に倭小学校の校長となり、1892年(明治25)まで勤める。
  この地方にコレラが流行し、親しい人達の死に直面し、医師になることを決心する。
  上京し、医者の予備校の済生学舎で基礎医学や臨床医学を学んで、医師国家試験に一回で合格する。合格後、帰郷して開業する。
1913年(大正2) 村議会議員となる。校医としても児童の保健衛生の向上に尽力、腸チフス流行の際防疫に努め、隔離病舎を建てる。
 郡会議員に選任されたり、県医師会の役員等も勤めたりする。
 養蚕業の価格安定化のため、一日市場に繭糸会社をつくり、自ら社長となって養蚕農家の便を図る。
 農業組合の前身の農業倉庫株式会社を創設し、初代組合長となって産業振興にも努力する。
1931年(昭和6)71歳亡くなる。

参考文献

三郷村誌1三郷村誌編纂会/編安曇野市立図書館