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飯沼 覚兵衛|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

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飯沼 覚兵衛
いいぬま かくべえ

松本藩長尾組二木村庄屋。年貢減免に功績。

生年月日1725年(享保10)
没年月日1809年(文化6)
関連地域三郷(二木)
職業・肩書庄屋
活躍年江戸時代以前
ゆかりの分野政治(政治)

 

経歴

三郷二木の庄屋の家に生れました。経済分野でも業績をあげました。1780年(安永9)11月、「1663年(寛文3)11月は、大雪の中の検地であったため、殊の外竿詰まりがあり、先年より村の者は困窮し、出奔者または断絶の者が多く出ている。」と窮状を訴えました。翌年も、再三にわたって再検地を訴願し、嘆願書を出しています。1782年(天明2)3月11日より4月6日まで、再検地が実施され、「定用捨150石」が申し渡されました。約120年にわたって、年々110から120石を余分に納めていたのです。
村民は、この検地を「丹波守(たんばのかみ、藩主戸田氏の官名)の御情竿(おなさけざお)」と言って長く言い伝えました。村の地蔵堂の境内に記念碑を建て、御情竿開始の3月11日を祝日と定め、草餅をつき、覚兵衛に贈って報恩の気持ちを表しました。また、氏神の例祭の折、現在も社殿に覚兵衛の名前を大書した大灯籠を掲げて、尊崇しています。

略歴譜

1725年(享保10)0歳三郷二木の庄屋の家に生れる。
1780年(安永9) 年貢減石・籾拝借願を差し出す。要望を上回る用捨・拝借籾を受ける。
1781年(天明1) 二木村の再検地願が受領されるが、着手せず。
1782年(天明2) 二木村の再検地開始、3月11日より4月6日まで実施する。10月13日に、全戸役所に出頭し、「定用捨150石」が申し渡される。
1783年(天明3) 宿願を果たしたので、領主への何度もの訴願の罪は大きいとし、庄屋辞任を再三願い出て、ようやく許される。
その後、学問が好きで能筆家の覚兵衛は、家に村の子弟を集め、読み書き算盤を教え、村民の教化に努めた。
1809年(文化6) 亡くなる。

参考文献

南安曇郡誌第三巻下南安曇郡誌改訂編纂会/編安曇野市立図書館
三郷村誌1三郷村誌編纂会/編安曇野市立図書館
三郷村誌2村落誌編三郷村誌編纂委員会/編安曇野市立図書館

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