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飯田 慶司|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

飯田 慶司の写真

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飯田 慶司
いいだ けいじ

南安曇農学校・豊科女学校誘致に尽力。安曇電気や信濃鉄道の取締役。高家村長・県議。

生年月日1876年(明治9)
没年月日1933年(昭和8)7月30日
関連地域豊科(飯田)
職業・肩書自治功労者
活躍年大正時代
ゆかりの分野経済(経済)

 

経歴

豊科飯田に生れました。1895年(明治28)、東京の専修学校に入学して経済学を専攻しました。1913年(大正2)、37歳で高家村会議員となり、長野県酒造組合連合会代議員も務めました。翌年、中信酒造組合長・信濃鉄道取締役となり、1915年(大正4)には、推されて県会議員に当選しました。1919年(大正8)、県会議員に再選され県参事会員となり、南安曇農学校(現南安曇農業高等学校)の誘致に尽力しました。1917年(大正6)に松本税務所管内所得税調査委員となり、1925年(大正14)まで税の公平化に努めました。1920年(大正9)に安曇電気会社監査役、1922年(大正11)には高家村長となり、小学校校舎および役場の改築、水利管理村長として勘左衛門堰・梓川改良工事、1923年(大正12)には豊科高等女学校(現豊科高等学校)の創設に力を注ぎました。

略歴譜

1876年(明治9)0歳豊科飯田の二代村長飯田福次郎の長男に生れる。家は代々清酒醸造を営む。
1895年(明治28) 長野県尋常中学校(現深志高等学校)を卒業し、東京の専修学校に入学、経済学を専攻する。
1913年(大正2)37歳高家村会議員となる。長野県酒造組合連合会代議員も務める。
1914年(大正3) 中信酒造組合長・信濃鉄道取締役となる。
1915年(大正4) 嘱望されて県会議員に当選する。
1917年(大正6) 松本税務所管内所得税調査委員となり、1925年(大正14)まで税の公平化に努める。
1919年(大正8) 県会議員に再選され県参事会員となり、南安曇農学校の誘致に尽力する。
1920年(大正9) 安曇電気会社監査役となる。
1922年(大正11) 高家村長となり、小学校校舎及び役場の改築、水利管理村長として勘左衛門堰・梓川改良工事に努める。
1923年(大正12) 豊科高等女学校の創設に力を注ぐ。
1926年(大正15) 県酒造組合連合会長・全国酒造組合評議員となる。自作農創成審査委員・小作調停委員等を務める。
1933年(昭和8)7月30日57歳病気のため亡くなる。

参考文献

南安曇郡誌第三巻下南安曇郡誌改訂編纂会/編安曇野市立図書館
豊科町誌豊科町誌編纂会/編安曇野市立図書館