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百瀬 亥三松|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0051992 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

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百瀬 亥三松
ももせ いさまつ

大正初め、信濃鉄道(現大糸線)開業に尽力。村長、県議、中房温泉経営。

生年月日 1863年(文久3)
没年月日 1923年(大正12)8月12日
関連地域 三郷(一日市場)
職業・肩書 自治功労者
活躍年 明治時代
ゆかりの分野 経済(経済)

 

経歴

1863年(文久3)、三郷一日市場に生れました。1899年(明治32)に村長となり、1903年(明治36)、県会議員に当選して、地方自治確立のために尽力しました。その間に、梓橋銀行頭取・安曇電気株式会社の取締役等にも就任しました。1910年(明治43)、松本・大町間の軽便鉄道の免許申請を行いました。計画に対して、5年間で国庫補助金125万円を得ることを目途として、毎年の建設費を883万円として起工する計画でしたが、馬車事業者や北安の重鎮内山昇等の反対運動や松本商工会の競願がありました。しかし、ついに翌年4月、敷設が許可されました。1913年(大正2)4月に松本の白板で信濃鉄道の起工式が行われ、1915年(大正4)に信濃鉄道松本・豊科間が開通し、1916年(大正5)には豊科・大町間も開通しました。

略歴譜

1863年(文久3) 0歳 三郷一日市場に生れる。
1877年(明治10)   筑摩郡松本開智学校、一日市場の明志学校に通う。
1878年(明治11)   穂高中学校中等科を卒業。以降数年間、同学校で教える。
1899年(明治32)   村長となる。
1903年(明治36)   県会議員に当選する。
1910年(明治43)   松本・大町間の軽便鉄道の免許申請を行う。
1911年(明治44)   松本・大町間の軽便鉄道の免許を取得する。
1912年(明治45)   信濃鉄道株式会社を有力者11名で創立する。
1913年(大正2)4月   松本の白板で信濃鉄道の起工式が行われる。
1915年(大正4)   信濃鉄道松本・豊科間が開通する。
1916年(大正5)   信濃鉄道豊科・大町間が開通する。
1923年(大正12)8月12日 60歳 亡くなる。

参考文献

南安曇郡誌第三巻下 南安曇郡誌改訂編纂会/編 安曇野市立図書館
三郷村誌1 三郷村誌編纂会/編 安曇野市立図書館

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