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百瀬 豊三郎|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052073 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

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百瀬 豊三郎
ももせ とよざぶろう

明盛村長として、無駄を省く基本財産蓄積条例を作り実行。

生年月日 1848年(嘉永1)
没年月日 1912年(明治45)
関連地域 三郷(一日市場)
職業・肩書 自治功労者
活躍年 明治時代
ゆかりの分野 経済(産業)

 

経歴

1848年(嘉永1)、三郷一日市場に生れました。若い頃は、農事に精励する一方、剣道を習い、尚武(しょうぶ)の精神の涵養(かんよう)に努めました。1895年(明治28)、衆望をにない、明盛村村長に就任しました。村内を7区とし、区長を置き、任期を3年として、村の意向が村民にゆきわたり、村民の願いが村政に反映できるように考えました。1903年(明治36)、村長に再選されました。日露戦争があり、一般経費節約のために村費を25%削減し、出征兵士やその家族を支援しました。1905年(明治38)、基本財産蓄積条例を作り、無駄を省いて基金を積み立て、不慮の災害に備え、後に大いに役立ちました。1908年(明治41)、小学校統合計画の反対運動等を解決しました。村長に3選で在任中、亡くなりました。

略歴譜

1848年(嘉永1) 0歳 三郷一日市場に生れる。
    若い頃、農事に精励する一方、剣道を習い、尚武の精神の涵養に努める。
1895年(明治28)   衆望をにない、村長に就任する。
  村内を7区とし、区長を置き、任期を3年として、村の意向が村民にゆきわたり、村民の願いが村政に反映できるように考える。
1903年(明治36)   明盛村村長に再選される。日露戦争があり、一般経費節約のために村費を25%削減し、出征兵士やその家族を支援する。
1905年(明治38)   基本財産蓄積条例を作り、無駄を省いて基金を積み立て、不慮の災害に備え、後に大いに役立つ。 
1906年(明治39)   明盛消防団の発展のために、器具置場の敷地を寄付し、消防団の基礎をつくる。
1908年(明治41)   温明高等小学校への統合で反対運動が起こるが、遠距離通学費支給や道路整備を条件に説得して、平静になる。
    この間に、組合会議員の辞職を説得したり、校名変更等をしたりして、さまざまな問題を解決する。
1910年(明治43)   村長に3選される。
1912年(明治45)   村長在任中、旧校舎を教員住宅として整備等をしている中、亡くなる。
    村民は、村長の逝去を惜しんで、村葬を行う。

参考文献

三郷村誌1 三郷村誌編纂会/編 安曇野市立図書館

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