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平林 金助|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052078 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

平林 金助
ひらばやし きんすけ

庄屋。加(嘉)助義挙の時の、副参謀。

生年月日 不詳
没年月日 不詳
関連地域 堀金(下堀)
職業・肩書 庄屋
活躍年 江戸時代以前
ゆかりの分野 社会(社会事業)

 

経歴

堀金下堀に生れ、下堀金村の庄屋となりました。1686年(貞享3)に、多田加(嘉)助の義挙が、万一目的通りに運ばない場合は第2陣となることを安曇郡の杏村金井勘兵衛・耳塚村草間五郎治・矢原村浅井源助及び筑摩郡の大庭村西方定兵衛・岡田町橋瓜甚左衛門・水代村水代平之助等の同志たちと、密議していたと伝えられています。百方運動をして加(嘉)助の赦免を願い出、土方縫之助・鈴木伊織等百姓を思いやって尽力した役人もいましたが、1686年(貞享3)11月22日、多田加(嘉)助等の処刑が強行されてしまいました。正義の士が立ち上がることへの期待も空しく、松本領内から追放の刑に処せられ、それ以降の消息は一切不明のまま今日に至っています。

略歴譜

生年不詳 0歳 堀金下堀に生れる。
    下堀金村の庄屋となる。
1686年(貞享3)   安曇郡の杏村金井勘兵衛・耳塚村草間五郎治・矢原村浅井源助及び筑摩郡の同志たちと、多田加(嘉)助の義挙の第2陣を密議していたと伝えられる。
1686年(貞享3)11月22日   百方運動して加(嘉)助の赦免を願い出、思いやって尽力した役人もいたが、多田加(嘉)助等の処刑が強行される。
  正義の士が立ち上がることへの期待も空しく、松本領内から追放の刑に処せられ、それ以降の消息は一切不明のまま今日に至っている。
没年不詳   亡くなる。

参考文献

堀金村誌 堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編 安曇野市立図書館

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