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望月 桂|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052083 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

望月 桂の写真

拡大表示 © 撮影 菊地秀明

望月 桂
もちづき かつら

我が国初めての平民美術宣言をし、誰でも参加できる展覧会を開催。漫画家としても活躍。  

生年月日 1886年(明治19)1月11日
没年月日 1975年(昭和50)12月13日
関連地域 明科(塔ノ原)
職業・肩書 漫画家
活躍年 大正時代
ゆかりの分野 文化(芸術)

 

経歴

明科塔ノ原に生れました。1905年(明治38)3月、松本中学校(現深志高等学校)卒業を前に、上田から上京して彫刻家の書生となり、高村光雲・藤島武二の塾に通い、高村光雲の子、高村光太郎と画架を並べて勉強しました。1910年(明治43)3月、東京美術学校(現東京藝術大学)洋画科を卒業し、野沢中学に就職しました。1916年(大正5)5月、神田猿楽町に氷水屋「へちま」を開業し、久坂卯之助や渡辺政太郎・和田久太郎等を知りました。1922年(大正11)11月に、大杉栄との共著「漫文漫画」をアルスから出版しました。1928年(昭和3)、読売新聞社に入社し、犀川凡太郎の筆名で漫画を新聞に掲載しました。1933年(昭和8)にはフリーとなり、新愛知等四社連盟に議会漫画を描きました。1945年(昭和20)、疎開のため帰郷してからは、美術科教師や全国農地委員協議会の理事として活躍しました。

略歴譜

1886年(明治19)1月11日 0歳 明科塔ノ原に生れる。
1905年(明治38)3月 19歳 松本中学校卒業を前に、上田から上京して彫刻家の書生となり、高村光雲・藤島武二の塾に通う。
  高村光雲の子、高村光太郎と画架を並べて勉強する。
1906年(明治39)   東京美術学校洋画科を受験し、入学する。
1910年(明治43)3月 24歳 東京美術学校洋画科を卒業し、野沢中学に就職する。
1916年(大正5)5月 30歳 神田猿楽町に氷水屋「へちま」を開業し、久坂卯之助や渡辺政太郎・和田久太郎等を知る。
1922年(大正11)11月 36歳 大杉栄との共著「漫文漫画」をアルスから出版する。
1928年(昭和3)   読売新聞社長正力松太郎と会い、入社が決定し、犀川凡太郎の筆名で漫画を新聞に掲載する。
1933年(昭和8)   フリーとなり、新愛知等四社連盟に議会漫画を描く。
1946年(昭和21)秋 60歳 東筑摩農民組合連合会ができ、組合長に推される。
1955年(昭和30)   松本松南高等学校の美術科教師となる。
1975年(昭和50)12月13日 89歳 亡くなる。作品の多くは、生家に保存されている。

参考文献

東筑摩郡・松本市・塩尻市誌別篇人名 東筑摩郡・松本市・塩尻市/編 安曇野市立図書館
明科町史 明科町史編纂会/編 安曇野市立図書館

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