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望月 章齋|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052087 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

望月 章齋の写真

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望月 章齋
もちづき しょうさい

画の指導。「鷹の章齋」と言われる。

生年月日 1814年(文化11)
没年月日 1892年(明治25)12月25日
関連地域 穂高(等々力)
職業・肩書 日本画家
活躍年 江戸時代以前
ゆかりの分野 文化(芸術)

 

経歴

穂高等々力に生れました。幼いころから絵画を好み、江戸で狩野洞章から教育を受け、画作の技を磨き、名声が大変に高まりました。その後、郷里に帰り、盛んに画作し、多くの弟子が門下に集まりました。 特に鷹を描くことに長けて、その作品が多く各地に残り、「鷹の章齋」と親しまれました。また、章齋は、穂高神社蔵の百人一首の額画を作りました。能書家でもあり、高島章貞とも親交を持ちました。門弟では、青柳柳斎・丸山雲章等が知られています。1892年(明治25)に78歳で亡くなり、等々力の藤塚に葬られました。

略歴譜

1814年(文化11) 0歳 穂高等々力に生れる。
幼いころから絵画を好み、江戸で狩野洞章に師事する。
刻苦勉励技大いに進み、名声がとみに高まる。
帰郷後、盛んに画作し、多くの弟子が門下に集まる。
特に鷹を描くことに長けて、その作品が多く各地に残り、「鷹の章齋」と親しまれる。
1892年(明治25)12月25日 78歳 亡くなり、等々力の藤塚に葬られる。

参考文献

南安曇郡誌第三巻下 南安曇郡誌改訂編纂会/編 安曇野市立図書館
穂高町誌 穂高町誌編纂委員会/編 安曇野市立図書館
安曇野の美術 丸山楽雲/編 安曇野市立図書館
1993穂高町出身の芸術家総合遺作展 総合遺作展実行委員会/編  

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