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望月 伝市|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052091 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

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望月 伝市
もちづき でんいち

初志を貫徹すべく、粘り強く運動して、田沢山の官有を民有に引戻し、300町歩の山林育成に専心努力する。

生年月日 1870年(明治3)
没年月日 1943年(昭和18)7月21日
関連地域 豊科(田沢)
職業・肩書 自治功労者
活躍年 大正時代
ゆかりの分野 経済(産業)

 

経歴

豊科田沢に生れました。1896年(明治29)から田沢山の乱伐・無届開墾による荒廃から田畑を守るため、田沢山の官有を民有に引戻す運動に奔走しました。1898年(明治31)5月、民有引戻申請書を関係筋へ提出しましたが、不許可となりました。その後、行政訴訟を提起し敗訴となりましたが、粘り強く運動を続けました。1917年(大正6)7月、上川手村ほか五か町村(豊科町・南穂高村・高家村・島内村・岡田村)及び四か町村山林組合を設立しました。翌1918年(大正7)、ついに田沢山の払下げが実現し、同年2月に同山林組合の常務委員となり、25年6か月、田沢300町歩の山林の育成に当りました。1924年(大正13)3月、上川手村村長に就任し、1928年(昭和3)2月まで4年間勤め、同山林組合の組合長も勤めました。1943年(昭和18)7月21日、73歳で亡くなりました。

略歴譜

1870年(明治3) 0歳 豊科田沢に生れる。
1896年(明治29)   田沢山の乱伐・無断開墾による荒廃から田畑を守るため、田沢山の官有を民有に引戻す運動に奔走する。
1898年(明治31)5月   民有引戻申請書を関係筋へ提出するが不許可となる。
  行政訴訟を提起するも敗訴となるが、粘り強く運動を続ける。
1917年(大正6)7月   上川手村ほか五か町村(豊科町・南穂高村・高家村・島内村・岡田村)及び四か町村山林組合を設立する。
1918年(大正7)   田沢山の払下げが実現する。
1918年(大正7)2月   同山林組合の常務委員となり、没するまでの25年6か月、山林の育成に当る。
1924年(大正13)3月   上川手村村長に就任し、1928年(昭和3)2月まで4年間勤める。同山林組合の組合長となる。
1943年(昭和18)7月21日 73歳 亡くなる。

参考文献

南安曇郡誌第三巻下 南安曇郡誌改訂編纂会/編 安曇野市立図書館

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