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民間機で偉業を成した 飯沼 正明|安曇野市ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

【いいぬま まさあき】 1912年から1941年 安曇野市豊科生まれ。

所沢陸軍飛行学校を卒業後、朝日新聞社に入社。
1937年(昭和12年)、塚越賢爾機関士と2人で純国産機「神風号」により、東京からロンドン間の世界最短時間飛行を成し遂げた。

「神風号」の英雄

松本駅に集まった数万の群衆
「神風号」の飛行士・飯沼正明の郷里南穂高村細萱への帰路、
両飛行士を出迎える松本駅に集まった数万の群衆

「神風号」は、朝日新聞社航空部のエースパイロット・飯沼正明飛行士によって1937年(昭和12)、世界を風靡(ふうび)した飛行機です。「神風特攻隊」のイメージから、そして後には陸軍司令部の偵察機として使われたことからも戦闘機としての印象が強いのですが、実は朝日新聞社航空部が取材のために軍から譲り受けた試作機で、民間機です。名前も一般からの公募によるものでした。

この「神風号」の操縦士が、安曇野市豊科出身の飯沼正明です。

航空部員として民間航空の第一線にあって、東京-新潟間の定期航空をはじめ、1934年(昭和9)には大阪-北京間2000キロの北京親善訪問飛行に成功、1935年(昭和10)に起きた台湾大地震の際には東京-台北間を10時間31分で飛行し、報道通信飛行で新記録を樹立するなど次々と海外への航空路を開拓しました。

そして、1937年(昭和12)4月に、朝日新聞社によりイギリスのジョージ6世皇帝陛下の戴冠式を奉祝し亜欧連絡記録大飛行が計画されると、飯沼は「神風号」の操縦士に選ばれ、機関士の塚越賢爾と共に東京―ロンドン間1万5357キロを94時間17分56秒、実飛行時間51時間19分23秒という、当時としては驚異的なスピードで飛行し、日本初の航空世界新記録を樹立しました。

「神風号」
「神風号」

記録樹立後、朝日新聞社社長のメッセージをたずさえて、ベルギー・ドイツ・フランス・イタリア4か国の首都訪問の親善飛行を行ないましたが、各国から勲章が贈られ、ベルギーではレオポルド3世陛下に謁見したのを始め、イタリア皇帝、ローマ法王にも謁見し、ドイツではケーリング空相、ローマではムッソリーニ首相と会見するなどの栄誉を受け、日本人としてはこれ以上ないという大歓迎を各国で受けて国際親善の役割をも充分に果たしました。

戦争の暗い時代の中にあっての飯沼・塚越両飛行士の快挙に日本中が歓喜に沸き、二人は大歓迎の中、1937年(昭和12)5月21日に凱旋帰国しました。翌日、天皇陛下に拝謁を始め、林総理大臣の午餐会に招待されるなどの歓待を受け、全国各地でも次々に盛大な歓迎報告大会が行なわれました。そして、この成功により両飛行士には勲六等旭日単光章が贈られ、その栄誉が称えられました。しかし、1941年(昭和16)12月11日、フランス領インドシナカンボジア州プノンペンにて29歳の若さで亡くなりました。

「空の覇者」飯沼正明の偉大な功績と、日本中を夢と希望で魅了した飯沼の表情は、1989年(平成元)国道147号線沿いにある飯沼の生家(安曇野市豊科)を改築した「飯沼飛行士記念館」で知ることができます。飯沼と同郷の安曇野市出身で、映画界きっての社会派、熊井啓監督が「人生最大の傑作となる」と話していた20本目の作品が、神風号と飯沼飛行士の映画でしたが、制作に入る直前の2005年(平成17)に逝去してしまい、公開されることはありませんでした。