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務台 理作|安曇野ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

務台 理作

むたい りさく

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務台 理作
むたい りさく

哲学者。「第三ヒウマニズム」を唱え、教育改革や安保条約反対闘争では学者・知識人による研究会の世話人となる。

生年月日1890年(明治23)8月8日
没年月日1974年(昭和49)7月5日
関連地域三郷(野沢)
職業・肩書哲学者
活躍年昭和時代
ゆかりの分野文化(学術思想)

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経歴

三郷野沢に生れました。自然と親しむ、勉学好きな少年として育ち、勉学と労働を両立させて、学問の道で身を立てようと努めました。1910年(明治43)、東京高等師範学校(現筑波大学)に入学しました。そこで、土田杏村(評論家)に勧められた「善の研究」で、哲学に目を開かれました。1915年(大正4)、京都帝国大学(現京都大学)文科哲学科に入学、西田幾多郎に師事しました。1926年(大正15)、ドイツに留学し、フッサールの指導を受け、帰国後、台北帝国大学の教師となり、「ヘーゲルの哲学」の研究が認められ、文学博士の称号を受けました。上京して、1945年(昭和20)に、東京理科文理大学(現筑波大学)学長・東京高等師範学校長に就任しました。戦後、教育刷新委員等に就任し、戦後の教育改革を進めました。1950年(昭和25)、「第三ヒウマニズム」を提唱し、1959年(昭和34)に安保問題研究会の世話人となり発足させ、新安保条約反対論争を開始しました。

略歴譜

1890年(明治23)8月8日0歳三郷野沢の農家に生れる。
1907年(明治40)17歳東筑摩郡和田小学校に赴任。温明小学校・松本小学校源池部で教員生活をする。
1910年(明治43)20歳東京高等師範学校に入学する。
1915年(大正4)25歳京都帝国大学文科哲学科入学し、西田幾多郎に師事する。
1920年(大正9)30歳信濃哲学会の発足に尽力する。
1926年(大正15)36歳台湾総監督府高等学校在外研究員として独仏留学し、フッサールに師事する。
1935年(昭和10)45歳「ヘーゲルの歴史哲学研究」が認められ、文学博士の称号を受ける。台湾から帰り、東京文理科大学専任教授に就任する。
1945年(昭和20)55歳東京文理科大学学長・東京高等師範学校長に就任する。
1946年(昭和21)56歳教育刷新委員に就任し、1947年(昭和22)に文部省教育研究所長、1948年(昭和23)に大学設置委員として戦後教育改革を進める。
1950年(昭和25)60歳「第三ヒウマニズム」を提唱する。
1951年(昭和26)61歳東京文理科大学・東京教育大学(現筑波大学)を退官し、慶応義塾大学文学部教授に就任する。
1959年(昭和34)69歳学者・知識人による安保問題研究会を世話人となり発足させ、新安保条約反対論争を開始する。
1961年(昭和36)71歳慶応義塾大学教授を辞任する。
1974年(昭和49)7月5日83歳亡くなる。

参考文献

赤つち道三郷村教育委員会・「ふるさと三郷」編集委員会/編安曇野市立図書館