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明治時代/安曇野のたからもの 有明山神社の天井絵|安曇野市ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

有明山神社の天井絵

有明山神社の神楽殿天井に飾られるゴージャスな天井絵

荻原碌山を生みだした明治の芸術環境

穂高の有明山ふもと宮城の地に「有明山神社」があります。その神楽殿に、素晴らしい天井絵があることを知っていますか?まさに“安曇野の宝”と呼ぶにふさわしいこの天井絵の存在は、地元の人にも意外と知られていないのではないでしょうか。
31人の日本画家により、目をうばうような81枚の板絵作品がゴージャスに組まれています。
1枚1枚は「椿」「石楠花」「夕顔」「柿」などの植物や木の実など、あでやかな極彩色で個性的な魅力を醸し出しています。
見る者に迫りくる高尚優美な格天井なのです。

そのまん中に堂々と飾られる1枚には、橋本雅邦による「2羽のカラス」の絵が描かれています。
橋本雅邦は横山大観、菱田春草、川合玉堂といった近代日本画の巨匠たちの師匠格であり、明治の日本を代表する大家でもあったのです。
この31人の板絵を1枚1枚集めるために、精力的に走り回った男がいます。
ここに「桃」「稲穂」「桜」を描いた藤森桂谷(通称は寿平)です。
藤森桂谷は、こよなく愛した信仰の山、有明山の神社のために、決意を秘めて上京し、中央画段の大家・橋本雅邦に何度も足を運び、ついに1枚の作品・「カラス」を受け取ることができた感激を「まことにこの行(ぎょう)の本望なり」と記しています。
また藤森桂谷は安曇野の近代教育の先がけであり、長野県国会開設運動を推進した人物でした。
完成となったのは、1902年(明治35)。実は、天井絵の完成は彫刻家・荻原碌山が絵の勉強のために渡米した翌年です。

碌山が育まれた環境には、天井絵を描いた丸山雲章、望月硯斎、野本萱斉、井口香山など日本画の風土があったのです。美術・芸術界において、自由の風が伸びやかに広がろうとしていた明治時代を見ることができます。
「研成義塾」を経営した井口喜源治や、「禁酒会」を創設し、後に安曇野を出て、東京・新宿中村屋を繁栄させていく相馬愛蔵・黒光夫妻など、安曇野には芸術を生み出す感性と情熱が飛び交い、大正デモクラシーが芽生える土壌となった、エネルギーに満ちた時代でもありました。