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明治時代/信仰の山から美の山に|安曇野市ゆかりの先人たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新


常念岳

安曇野に住む人々の心の山・常念岳

エレガントな秀峰に告げられた近代登山史の幕開け

安曇野から見上げる北アルプスの峰々の中で、最も優美で堂々とした姿を見せてくれている山。それが常念岳(じょうねんだけ、2,857m)です。
4から6月ごろの、大気が澄み渡った日には、残雪の白いベールをまとい“雪形”をくっきりと山明にアピールします。 その姿は、時を忘れて見入ってしまうほどの見事な存在感があります。
ところがその美しい名峰は、はるか昔から私たちの身近にあったにもかかわらず、およそ100年余り前(明治30年ごろ)までは、全くとらえられ方が違っていました。

常念岳は、厳しい自然環境に包まれた信仰の山という考えが大半で、眺めて美しいとか、登って楽しもうなどという考えは、それまでだれも持ったことがない時代でした。修行僧や猟師、山人の樵(きこり)・杣人(そまびと)など、山は限られた人たちだけが分け入って修行したり仕事をする世界に過ぎなかったのです。
常念岳、北アルプスへの見方をガラリと変えたきっかけは、意外にも外国人の登山旅行者でした。

1891年(明治24)、登山家でイギリス人牧師のウォルター・ウェストンが保福寺峠から北アルプスの大連峰を初めて目の当たりにし、その壮麗さに感激。常念岳を「ペニン山脈の女王ワイスホーンを思わせる優美な三角形」と絶賛しました。
常念岳は東側に前常念のピークがあり、2つの頂をつなぐ稜線は見る角度によって姿を変えます。「三角形」とは頂がピッタリ重なり合って美しいピラミッド形に見えたことからでしょう。

その3年後、W・ウェストンは友人のH・J・ハミルトン、神戸の考古学者・浦口文治とともに、常念岳へ登山旅行に訪れます。岩原村(現堀金)村長・山口吉人を訪ね、ていねいな接待を受けて山口家に泊まり、熊猟師の藤原啓太ら3人の案内で、登頂を成し遂げました。

帰国したW・ウェストンが『日本アルプス 登山と探検』の中で北アルプスと常念岳の素晴らしさを紹介したことは山に対する見方の大きな転機となりました。
小説『安曇野』の著者・臼井吉見の人生観に大きな影響を与えた“常念校長”こと佐藤嘉市校長や、常念岳研究会の発足、山小屋の建設、登山路の開拓、登山案内人の養成など、近代登山の幕開けといえる、多くのきっかけとなっていくのです。