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昭和時代/太平洋戦争後 ドラマ「水色の時」永遠に|安曇野市ゆかりの先人たち

記事ID:0051982 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

道祖神

田淵行男をモデルにしたNHKテレビ「水色の時」道祖神を訪れる人は今も後を断たない。

安曇野の自然に昆虫を追う

みなさんは、安曇野はいったいどのくらいの標高差があると思いますか?最も高いところは北アルプスの峰々で3,000メートル級、低い犀川あたりは530メートルくらい。なんと約2,700メートルもの差があります。
おそらく日本中どこにもないこの大きな標高の幅は“動植物の宝庫”を生み出します。まず、植物は標高の違い(気温差など)によって、生きていくエリアを決めます。高山植物が海辺で育たないのはそのためです。その植生分布により、決まった昆虫が繁殖します。

生き物の生態にとりつかれ、後世にばく大な研究成果を残した2人の学者がいます。ともに明治の終わりに生まれ大正、昭和、平成と相次ぐ世界大戦や経済成長など、激動の時代に翻弄されることなく研究にまい進しました。生涯安曇野で住み続けたことが、どれだけ安曇野が豊かで魅力的な場所であるかを物語っています。
高山蝶の研究で世界的に知られる田淵行男(鳥取県出身)は、東京高等師範学校などで教諭を務め、1945年(昭和20)に穂高へ疎開。常念岳で珍しい高山蝶タカネヒカゲの幼虫を発見したことで魅了され生態解明に没頭。「高山蝶」を始め多くの著書を残しています。山岳写真家としてロマンチックで美しい写真や、驚くほど生々しく神秘的な蝶の細密画を多く残し、私たちの心をクギづけにして自然界の深い魅力を教えてくれます。

田淵行男のロマンあふれる生き方をモデルにしたNHKテレビ「水色の時」(みずいろのとき)は、1975年(昭和50)4月から半年間放映された連続テレビ小説です。平均視聴率40.1%、最高視聴率は48.7%と、当時の総国民をテレビにクギづけにしたドラマと言っていいでしょう。
もう1人の研究者は、蜘蛛(クモ)学者の千国安之輔(豊科出身)です。日本を代表する昆虫類学者の1人といっていいでしょう。

県内の小・中学校の教諭・校長を歴任しながら、魅了され続けるクモの生態研究を重ねて『日本アルプス山系の蜘蛛』を著述しています。日本国内で確認されたクモのほとんどについて、20年の歳月をかけて集録した『写真日本クモ類大図鑑』は撮影写真5万枚、クモ研究50年の集大成。
少年の目で観察、発見し“まるで目玉焼きのようなクモの卵の作り方”など、子ども向けの観察の本『クモの親と子』は平成元年の出版で、「みらい」の図書館で借りることができます。

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