表銀座に「喜作新道」を開いた 小林喜作|安曇野市ゆかりの先人たち
小林 喜作 【こばやし きさく】 1875年から1923年 安曇野市穂高(牧)生まれ。
17歳で猟を始め、同年同郷の先輩であった為右衛門に案内され槍ヶ岳の山頂に立つ。この後北アルプス付近をくまなく歩きガイドとして活躍。当時4、5日かかっていた中房温泉から槍ヶ岳の縦走路をわずか1日で行くことができる新ルート「喜作新道」を開拓。
スーパー猟師
槍ヶ岳を見通した喜作新道
北アルプスの峰々をつなぐ尾根道には「表銀座」「裏銀座」と呼ばれる登山の縦走コースがあります。この「表銀座コース」に大正9年(1920)ごろ、便利で眺望バツグンの人気コース「喜作新道」を切り開いたのが、小林喜作です。喜作は現在の穂高・牧の猟師でした。カモシカやクマ、ウサギ、ライチョウ(当時は保護法がなかった)などを追って山奥深く分け入っては、捕らえた獣の毛皮などを売って生計をたてていました。
当時、槍ケ岳に登る縦走の常識だったコースでは、中房温泉に1泊、燕(つばくろ)か大天井(だいてんじょう)小屋にもう1泊、さらに常念小屋に1泊と、3から4日かかっていました。ところが喜作はいつも猟に使っていた険しい道を整備し、登山者がたった1から2日で槍ケ岳に行き着くルートを考えつき、3年を費やして開削させました。
喜作新道の東端にある
喜作のレリーフ(小川大系作)
この道は、アルピニストの憧れをかきたてて止まない槍ケ岳が最も美しく見え、高山植物が出迎える魅力的なコースで、喜作があたかも銀座を歩くかの様に歩いたことから、いつしか「北アルプスの表銀座」と呼ばれる人気道になります。さらに1922年(大正11)には槍ケ岳のたもとに「殺生小屋」をオープンさせます。喜作は、80キロにもおよぶ重い荷物を担いで3,000メートル級の山々へ荷を上げ、驚くほどのスピードで走るように山谷を駆けめぐっていた山のスーパーマンでした。