草間 太重郎|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052234 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新
草間 太重郎
くさま たじゅうろう
謡曲家。京都で宝生(ほうしょう)流謡曲の深奥を究め、帰郷後に、多くの人々に教える。
生年月日 | 江戸 |
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没年月日 | 不詳 |
関連地域 | 穂高(耳塚) |
職業・肩書 | 謡曲家 |
活躍年 | 江戸時代以前 |
ゆかりの分野 | 文化(文芸) |
経歴
穂高耳塚に生れました。諱(いみな)は道賢といいました。京都に学び、宝生流謡曲の深奥を究めました。後に郷里に帰り、潮村の招きに応じて謡曲を教えました。塔ノ原・潮沢・塩川原・押野・四賀村方面から多くの人が来て学びました。
1863年(文久3)春に、門弟が謡塚を旧道端へ建てました。謡塚には、「拙きを人の心に仰がれて、名は後までも残るうれしさ」と刻まれています。
略歴譜
江戸 | 0歳 | 穂高耳塚に生れる。諱は道賢と称する。 |
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京都に学び、宝生流謡曲の深奥を究める。 | ||
郷里に帰り、潮村の招きに応じて謡曲を教える。 | ||
塔ノ原・潮沢・塩川原・押野・四賀村方面から来て学ぶ者が多い。 | ||
1863年(文久3)春 | 門弟が謡塚を旧道端へ建てる。「拙きを人の心に仰がれて、名は後までも残るうれしさ」と刻まれる。 | |
没年不詳 | 亡くなる。 |
参考文献
明科町史 | 明科町史編纂会/編 | 安曇野市立図書館 |
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