望月 直弥|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052090 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
もちづき なおや
禁酒会を相馬愛蔵らと共に創設。望月章齋の孫で、「雅章」の号を持つ日本画家。
生年月日 | 1870年(明治3) |
---|---|
没年月日 | 1918年(大正7) |
関連地域 | 穂高(神田町) |
職業・肩書 | 近代日本画家 |
活躍年 | 明治時代 |
ゆかりの分野 | 文化(芸術) |
経歴
穂高神田町に生れ、本名は望月直弥といい、号は雅章といいました。祖父章齋、父硯齋に学びました。若くして上京し、橋本雅邦(横山大観の師)に就き、近代日本画の本道を学んで帰郷しました。荻原碌山は、雅章を通して中央画壇の趨勢(すうせい)を知り、狩野派の絵画理論を学び大きな感化を受けました。雅章は号を「雪陵」とも称し、力強い筆法で精神性の高い作風を示しました。代表的な作品に「三国志演義図」があります。また、相馬愛蔵、井口喜源治らとともに禁酒会を創設し、その中心的存在となりました。東穂高小学校で井口喜源治と教鞭をとりました。1918年(大正7)に亡くなりました。
略歴譜
1870年(明治3) | 穂高神田町に生れる。 |
---|---|
祖父章齋、父硯齋に学び、号を雅章とする。 | |
若くして上京し、橋本雅邦(横山大観の師)に就き、近代日本画の本道を学んで帰郷する。雅章が説く中央画壇の趨勢や狩野派の絵画理論は荻原碌山を感化した。 |
|
雅章は号を「雪陵」とも称し、力強い筆法で精神性の高い作風を示す。 | |
相馬愛蔵、井口喜源治らとともに禁酒会を創設し、その中心的存在となる。 | |
東穂高小学校で井口喜源治と教鞭をとる。 | |
1918年(大正7) | 亡くなる。 |
参考文献
穂高町誌 | 穂高町誌編纂委員会/編 | 安曇野市立図書館 |
---|---|---|
安曇野の美術 | 丸山楽雲/編 | 安曇野市立図書館 |
1993穂高町出身の芸術家総合遺作展 | 総合遺作展実行委員会/編 |