望月 直弥|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052090 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新
もちづき なおや
禁酒会を相馬愛蔵らと共に創設。望月章斎の孫で、「雅章」の号を持つ日本画家。
生年月日 | 1870年(明治3) |
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没年月日 | 1918年(大正7) |
関連地域 | 穂高(神田町) |
職業・肩書 | 近代日本画家 |
活躍年 | 明治時代 |
ゆかりの分野 | 文化(芸術) |
経歴
穂高神田町に生れ、本名は望月直弥といい、号は雅章といいました。祖父章斉、父硯斉に学びました。若くして上京し、橋本雅邦(横山大観の師)に就き、近代日本画の本道を学んで帰郷しました。荻原碌山は、雅章を通して中央画壇の趨勢(すうせい)を知り、狩野派の絵画理論を学び大きな感化を受けました。雅章は号を「雪陵」とも称し、力強い筆法で精神性の高い作風を示しました。代表的な作品に「三国志演義図」があります。また、相馬愛蔵、井口喜源治らとともに禁酒会を創設し、その中心的存在となりました。東穂高小学校で井口喜源治と教鞭をとりました。その頃に芸妓置屋設置反対運動が起りました。1918年(大正7)に亡くなりました。
略歴譜
1870年(明治3) | 0歳 | 穂高神田町に生れる。本名は望月直弥という。 |
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祖父章斉、父硯斉に学ぶ。 | ||
若くして上京し、橋本雅邦(横山大観の師)に就き、近代日本画の本道を学んで帰郷する。 | ||
荻原碌山は、雅章を通して中央画壇の趨勢を知り、狩野派の絵画理論を学び大きな感化を受ける。 | ||
雅章は号を「雪陵」とも称し、力強い筆法で精神性の高い作風を示す。 | ||
相馬愛蔵、井口喜源治らとともに禁酒会を創設し、その中心的存在となる。 | ||
東穂高小学校で井口喜源治と教鞭をとる。 | ||
芸伎置屋設置反対運動が起る。 | ||
1918年(大正7) | 亡くなる。 |
参考文献
穂高町誌 | 穂高町誌編纂委員会/編 | 安曇野市立図書館 |
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安曇野の美術 | 丸山楽雲/編 | 安曇野市立図書館 |
1993穂高町出身の芸術家総合遺作展 | 総合遺作展実行委員会/編 |