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文書館紀要第2号

記事ID:0103962 更新日:2023年5月21日更新 印刷ページ表示

・刊行年月日 2021(令和3)年3月31日

・定 価 500円

・ページ数 129ページ

研究紀要

文書館開館準備における公文書館機能ミニマムモデルの活用について

青木 弥保

 安曇野市文書館の開館準備に活用した公文書館機能ミニマムモデルの点検結果と業務検討委員会の成果をまとめています。

 安曇野市文書館は2018(平成30)年10月1日に開館した。2009(平成21)年から教育委員会文化課がすすめてきた地域資料の調査作業と、2012(平成24)年から本庁舎建設の中で行われてきた公文書の整理作業が一体化し、開館に結びついた。

 2019(令和元)年11月には全国歴史資料保存利用機関連絡協議会(全史料協)の全国大会(第45回全国(安曇野)大会)を開催することができた。大会では、長野県内の文書館設置の動きを取り上げ、活発な議論が行われた。その中で当市の事例として発表したものが、全史料協調査・研究委員会が提示した「公文書館機能ミニマムモデル」を活用した開館準備の過程である。ミニマムモデルは歴史的公文書を保管する公文書館や公文書機能のために作成された指標である。ミニマムモデルによる点検は定期的に行い、業務改善に活かしていくことが提案されている。文書館開館前の業務をミニマムモデルで点検したことにより、業務検討委員会ではより具体的な提案を受けることができ、例規の整備につながった。

 開館後の点検の結果、文書館がどういった文書を保管し、どのような活動をしている施設なのかが市民に対し発信されていないことが分かった。文書館が収蔵している文書、つまり重要文書等となる文書は具体的にどういったものなのかという理解を広めていく必要がある。地域の記録の相談窓口として文書館が機能すれば、現在から未来に対して伝わっていく情報も充実していくと考える。

上人塚・乾塚発掘調査記録とその解釈

土屋 和章

 穂高町が作成した発掘調査記録の成果を分析し、塚の果たした機能を紹介しています。

 昭和54年度県営圃場整備事業に先立ち、穂高町教育委員会は事業区域内に所在する上人塚・乾塚の発掘調査を実施した。

 乾塚は種類が不明で、長野県市町村別遺跡一覧表の記載もない。遺跡の現状は、水田地域内に自然石の錯乱した墳丘址らしきものが存するのみであった。

 上人塚は中世に属する墳墓で、乾塚と同様に長野県市町村別遺跡一覧表には記載されていない。遺跡の現状は、烏川扇状地上に存し、その枝流の流路によって形成された自然堤防上の微高地に構築された円形の饅頭塚とされている。

 私たちを取り巻く景観は、過去から現在にわたる環境形成の結果を、私たちが主体的に解釈している表象であると捉えられる。塚が景観構成要素として果たす重要性の理解については、今後の課題である。

 乾塚・上人塚は調査後除去され、水路・通路も当時の形では残っていない。しかし、発掘調査によって中近世の塚が存在した事実は記録され、公文書として保管されている。

 調査はされていないが、安曇野の地に現存している有名・無名の塚も多い。これらの塚は、今後も新しい機能を付与され、景観を構成していくであろう。その意味で、現存する塚は極めて現代的な存在であるとも言える。

展示記録

安曇野市制施行15周年記念企画展「来た道ー忘れ去られた感染症、銃後の守りー」

平沢 重人

 2020年5月17日から8月31日に開催した企画展の記録です。新型コロナウィルス感染症の拡大を受け、約100年前に流行したスペイン風邪の当時の記録を紹介しました。

 今から100年ほど前の1918(大正7)年秋から1920(大正9)年春にわたって世界中を震撼させ、日本でも39万人という死者を出したスペイン風邪があった。当時の日本人の人口は5700万人である事から、0.7%が亡くなっていることになる。

 これほどまでの犠牲を出したスペイン風邪であるが、議事録等の記録がなく、新聞報道での位置づけも低かった。学校での休校措置もコレラや赤痢、腸チフスに比べて対応が遅かった。これらの理由は4点であると考える。

 1つは、スペイン風邪は伝染病に指定されていなかったこと。

 2つは、大正時代は病気や死というものが今よりももっと身近にあった時代であったこと。

 3つは、天然痘や腸チフス、赤痢と比べたら、死亡率が低かったこと。

 4つは、スペイン風邪に関する報道が疎かになったこと。

 驚いた事は、感染症予防についてである。現在の「3密を避ける」「感染地との行き来を避ける」「手洗い励行」「マスクの着用」「感染者の隔離」と同様の対応が明治大正期になされていたということである。また、自治体の対応としても予算配当や予防救治従事者に対して手当ての支給、衛生委員の任務などが的確であり、現在の対応とほとんど変わらないということである。

安曇野市制施行15周年記念企画展「五つの心をひとつに」

平沢 重人

  2020年9月6日から12月28日までに開催した企画展の記録です。安曇野市合併から現在に至る市政の歩みを「協働」に注目して紹介しました。

 2005(平成17)年10月1日にスタートした安曇野市は、今年市制施行15周年を迎える。2006(平成18)年2月28日の『安曇野市誕生記念式典』において、平林伊三郎初代安曇野市長は合併への思いと新市の展望を「合併は最終目標でなく、新しい地域づくりの新たな出発点であります。」と語り、安曇野市は誕生した。

 安曇野地域合併協議会では2005(平成17)年2月、新市のスタートに際して『まちづくり計画』を策定した。その中にうたわれている理念のひとつが「協働のまちづくり」である。協働とは、「市民」「自治会」「市民活動団体」「企業」「教育機関」「行政」の六つが共々に主役となる取組を意味する。多様化、複雑化した地域課題の掘り起こしや情報収集システムの仕組みづくりは、「協働のまちづくり」を推進していくうえで大切な要素である。そして、それは市民一人ひとりがまちづくりへの関心が持てたり、情報を必要としている人に必要な情報が得られやすくしたりすることにつながる。

 安曇野市は、この考え方を市民の皆さんに理解してもらうために、積極的に取り組んできた。市民であれ、行政職員であれ、一人ひとりがどれだけ当事者意識を持てるかが大事である。

リンゴ村への道  小倉官林開墾100年

青木 弥保

 小倉官林の開墾までの歩みを、『りんご村への道』や文書館所蔵資料をもとに紹介しています。

 2020(令和2)年は、小倉国有林の開墾が始まって100年の節目の年である。現在、リンゴ畑が広がる東小倉や室町を中心とする地域は、かつては広大な赤松林であった。かつて小倉官林と呼ばれた赤松林には樹齢50年から100年を超す大木が生い茂っていた。

 江戸時代、小倉官林は小倉御林と呼ばれていた。御林とは、幕府や藩がその資源を自由に利用できる山林のことである。

 明治時代になると幕府や藩が管理していた土地は国有地となった。周辺の人々の間では、山林の資源を使って商売を始める者もいた。周辺住民によって産業の発展を図り、国力を充実させるために山林を開墾する事になった。開墾後の農地は主に桑畑になった。

 1970年代以降、整備された水路を活用し、スプリンクラー設備が整い、リンゴ作りを行う農家が増加した。三郷村では農業振興の中心にリンゴを備え、農業だけではなく、観光資源としても活用していった。その取り組みは、安曇野市にも引き継がれている。農政課では、「第2次農業・農村振興基本計画および振興計画」では、主要な海外輸出品としてリンゴを位置付けている。また、観光交流促進課では、地元の飲食店と共同し、安曇野林檎ナポリタンを開発した。このように、開墾地は安曇野市の産業を支える基盤となっている。

講演記録

公文書の今、そしてこれから

松岡 資明

 2020年9月27日に、長年公文書の問題を取材してきた松岡資明さん(元日本経済新聞社編集委員)に公文書管理法制定までの経緯や、現在のあり方をお話しいただきました。

 2000年代に「消えた年金記録」やC型肝炎患者のリスト放置問題があり、公文書の重要性が認識された。そこで政府は、公文書管理法を成立させた。この法律の制定には、福田康夫元首相が大変大きな役割を果たしている。

 日本の公文書の歴史をさかのぼってみると、江戸時代までは非常にたくさんの古文書が残っている。しかし、明治時代に入ってから時代が進むと共に記録保存のレベルが劣化していった。内閣制度の組織自体が大きくなって追いつかなくなってしまい、時代を経るにつれて記録そのものが軽視されるようになった。その結果、政策を決める構造は、現実の社会現象から観察されて集められた経験、データを元にして理論化を進める帰納的思考を得意としない、すでに出来上がった法体系について理解を進め、解釈を進める法学的な知識が基礎になっている。以前の法律との関連がどうであるかということに重きをおいてしまい、現実に対応して考えることができず、問題が解決できなくなってしまっているのが現状である。

 今後の時代を考えていく時に一つの大きなキーワードとなるのは透明であることだと思う。政治の世界をオープンにすること、選挙で投票したりする等、いろんな形で政治に関わっていくようなことを考えていただければ社会も少しずつ変わっていくのではないか。

資料目録

地域資料:小川家文書

 穂高町が所蔵していた小川家文書の目録です。小川家文書は一部が国文学研究資料館にも所蔵されています。

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