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穂高天蚕

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年12月28日更新

天蚕(てんさん)について

天蚕のサナギの写真です  天蚕繭の写真です

 桑の葉を与え、室内で飼うカイコを家蚕と呼ぶのに対して、屋外で飼育する絹糸昆虫を野蚕と呼びます。天蚕はその野蚕の仲間です。
天蚕の繭から採れる天蚕糸は、淡緑色で、独特の光沢と優美な風合いを持ち、その希少性から「繊維のダイヤモンド」とも呼ばれています。
 市では、天蚕を昔ながらにクヌギ等の若葉で飼育し、座繰機から繰糸する生糸と、真綿から紡ぐ紬糸が織り糸として使用されています。
 200年以上に及ぶ天蚕業の歴史をもつ安曇野市では、今も天蚕糸をつくり続けています。

天蚕糸(てんさんし)

天蚕糸の写真です

 天蚕糸の優美な光沢は、染料に染まりにくいという天然絹糸そのものの美しさがあります。また、丈夫で軽くて柔らかく保温性に富むなど優れた特性があります。

天蚕飼育のはじまり

天明年間(1781年から1788年)有明地区において天蚕飼育開始。
文政年間(1818年から1829年)営利的副業として本格的な飼育開始。
嘉永元年(1848年)繰糸開始。
明治9年(1876年)踏み取り機による繰糸開始。

天蚕飼育の隆盛

明治10年頃(1877年頃)飼育林不足により、県外(茨城県、栃木県など)への出張飼育開始。
明治30年頃(1897年頃)有明地区を中心とした3,000ヘクタール程の飼育林及び他県での飼育分を合わせて年間約800万粒の繭を生産。

天蚕飼育の衰退

明治35年頃(1902年頃)天蚕の害敵 微粒子病、うじばえ等の多発。
明治41年(1908年)日本アルプス焼岳噴火による降灰のため蚕児の虚弱化。
大正2年(1913年)長野県南北安曇郡天柞蚕同業組合が組織される。天蚕飼育の復興。
昭和11年(1936年)長野県蚕業試験場松本支場有明天柞蚕試験地設置(昭和14年時局反映により廃止。昭和24年再設置)。
昭和12年から20年(1937年から1945年)度重なる戦争のため天蚕糸は贅沢品とされる。さらに第2次世界大戦により飼育が途絶える。

天蚕飼育の復興

昭和48年(1973年)長野県は市町村への委託飼育を開始。穂高町(現 安曇野市)は委託飼育市町村となり、農家による飼育が復活。
昭和52年(1977年)穂高町天蚕センター(現 安曇野市天蚕センター)しゅん工。
昭和59年(1984年)「穂高天蚕糸」商標登録。(有明地区は旧 有明村。有明村は昭和29年に穂高町(現 安曇野市)に合併したためこの名がつく。)
平成9年(1997年)長野県蚕業センター有明試験地・同飼育林(前 長野県蚕業試験場松本支場有明天柞蚕試験地)廃止 
※現在市では飼育林跡地を県から借りて天蚕を飼育している。