隠岐 吉雄|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052106 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新

隠岐 吉雄
おき よしお
東川手村村長として14年間、村政に尽す。また、日本赤十字社の事業に貢献し、東筑摩町村会副会長を務める。
| 生年月日 | 1861年(万延2)1月4日 |
|---|---|
| 没年月日 | 1912年(明治45)2月26日 |
| 関連地域 | 明科木戸 |
| 職業・肩書 | 自治功労者 |
| 活躍年 | 明治時代 |
| ゆかりの分野 | 政治(政治) |
経歴
明科木戸に、東川手村長の長男として生まれました。1899年(明治32)に、父より村政を受け継ぎ、1899年(明治32)から1912年(明治45)まで14年間、村長として村政の改善を図りました。この間に、小学校校舎を新築し、隔離病舎を建築しました。日露戦役では後援の実を挙げ、その功績により勲七等青色桐葉章を受章しました。また、日本赤十字社の事業に貢献したほか、治山治水・道路改修等で大きな功績を挙げ、東筑摩町村会副会長を務めました。
1912年(明治45)2月26日、在職中に病死しました。村民はこれを惜しんで、望月桂に依頼して肖像画を作り、1913年(大正2)6月に、小学校建築10周年記念として小学校に寄附しました。
略歴譜
| 1861年(万延2)1月4日 | 明科木戸に、東川手村長の長男として生まれる。 |
|---|---|
| 1899年(明治32) | 父隠岐吉枝より村政を受け継ぎ、1899年(明治32)から1912年(明治45)まで14年間、村長として村政の改善を図る。 |
| 小学校校舎を新築し、隔離病舎を建築したほか、日露戦役では後援の実を挙げ、その功績により勲七等青色桐葉章を賜る。 | |
| 日本赤十字社の事業に貢献したほか、治山治水・道路改修等で大きな功績を挙げ、東筑摩町村会副会長を務める。 | |
| 1912年(明治45)2月26日 | 在職中に病死。 |
| 1913年(大正2)6月 | 村民が望月桂に依頼して肖像画を作り、小学校建築10周年記念として小学校に寄附する。 |
参考文献
| 明科町史 | 明科町史編纂会/編 | 安曇野市図書館 |
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