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隠岐 笹雄|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052107 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

隠岐 笹雄

おき ささお

 当地方最大の塾、寺子屋竹葉塾の師匠。

生年月日 1825年(文政8)6月10日
没年月日 1891年(明治24)7月26日
関連地域 明科(木戸)
職業・肩書 教育者
活躍年 明治時代
ゆかりの分野 文化(教育)

経歴

 明科木戸に生れました。諱(いみな)は、義明と称しました。大日堂の寺子屋師匠矢田直三郎に漢学を学びました。書は、漢・魏・晋の古法帳、尊円親王、道真、行成、佐理の書法を学びました。1873年(明治6)まで、寺子屋竹葉塾の師匠を勤めました。竹葉塾は、門人223人のうち男子210人、女子13人で、当地方最大の塾でした。
 1873年(明治6)10月10日に、潮山中・潮沢両村が合併して、礪奨(れいしょう)学校を創立し、訓導となりました。1882年(明治15)12月、門人によって寿ちょう碑(筆塚)が建立されました。
 1891年(明治24)7月26日に亡くなりました。

略歴譜

1825年(文政8)6月10日 0歳 明科木戸で生れる。
    大日堂の寺子屋師匠矢田直三郎に漢学を学ぶ。
    生坂村の生野臨犀と特に親しくなる。
    1873年(明治6)まで、寺子屋竹葉塾の師匠を勤める。門人223人のうち男子210人、女子13人で、当地方最大の塾であった。
1873年(明治6)10月10日 48歳 潮山中・潮沢両村が合併して、礪奨学校を創立し、訓導となる。
    礪奨学校を辞職する。
1882年(明治15)12月 57歳 門人により寿ちょう碑が建立される。俳諧千吟の額・長歌が残る。碑の篆額(てんがく)は山岡鉄舟の筆に成り、撰文(せんぶん)は生野臨犀である。
1891年(明治24)7月26日 66歳 亡くなる。

参考文献

東筑摩郡・松本市・塩尻市誌別篇人名 東筑摩郡・松本市・塩尻市/編    安曇野市立図書館
明科町史 明科町史編纂会/編 安曇野市立図書館

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