隠岐 正三|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052108 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
隠岐 正三
おき しょうぞう
父と共に酒造業・犀川通船の継立所・旅館業を営む。私財を投じて、犀川に信犀橋を架ける。
生年月日 | 1826年(文政9)9月5日 |
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没年月日 | 1908年(明治41)8月1日 |
関連地域 | 明科木戸 |
職業・肩書 | 河川交通整備功労者 |
活躍年 | 明治時代 |
ゆかりの分野 | 経済(産業) |
経歴
明科木戸に生まれ、泰次郎ともいいました。家督を弟の国三郎に譲り、父と共に酒造業と、犀川通船の継立所・旅館業を営みました。1869年(明治2)の会田騒動の時、襲われることを予測して、騒動者に安値で麦を販売することを約束しましたが、煽動(せんどう)する者がいて大被害を受けました。1877年(明治10)には、小林玄秀等と共に私財を投じて、犀川に信犀橋を架けました。その後、流失したため信犀橋を2回も架け替えました。また、帆掛け舟を作って川をさかのぼったり、火の見楼を建てたりしました。信仰も深く、水難者の供養塔を建て、潮(うしお)の安国寺の創建にも尽力したほか、裏山に御嶽神社を勧請し、石仏も多く建立しました。
略歴譜
1826年(文政9)9月5日 | 明科木戸に生まれる。泰次郎ともいう。 |
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家督を弟の国三郎に譲り、父と共に酒造業と、犀川通船の継立所・旅館業を営む。 | |
1869年(明治2) | 会田騒動の時に、襲われることを予測して、騒動者に安値で麦を販売することを約束したが、煽動する者がいて、大被害を受ける。 |
1877年(明治10) | 小林玄秀等と共に私財を投じて、犀川に信犀橋を架ける。 |
流失したため信犀橋を2回も架け替える。 | |
帆掛け舟を作って川をさかのぼったり、火の見楼を建てたりする。 | |
信仰が深く、水難者の供養塔を建て、潮の安国寺の創建にも尽力する。 | |
裏山に御嶽神社を勧請し、石仏も多く建立する。 | |
1908年(明治41)8月1日 | 死去。 |
参考文献
明科町史 | 明科町史編纂会/編 | 安曇野市図書館 |
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