臼井 元良|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052111 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
臼井 元良
うすい もとよし
眼科医。論文「凝視の研究」で医学博士号を受証し、珍しい論文として海外に紹介される。郡下十数校の校医を務める。また、教育委員長等の要職に就き、郡下の教育行政の推進に尽力する。
生年月日 | 1912年(大正元) |
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没年月日 | 1978年(昭和53)2月 |
関連地域 | 堀金田尻 |
職業・肩書 | 眼科医 |
活躍年 | 昭和時代 |
ゆかりの分野 | 社会(医療厚生) |
経歴
堀金田尻に生まれました。1941年(昭和16)、慈恵会医科大学卒業と同時に、慈恵会病院眼科教室助手となり、日本橋の村上眼科病院副院長として勤務しました。1948年(昭和23)には、生家で眼科医を開業し、豊科に分院を開いて、夫人と共に診療に当りながら、研究論文に取り組みました。1956年(昭和31)に教育委員に選任され、以来1971年まで4期15年間、村の教育行政の中心となって、小学校校舎の改築等施設の整備や教育施策の推進に努めました。1960年(昭和35)、「凝視の研究」をまとめて医学博士号を受証し、珍しい論文として海外に紹介されました。この間、堀金小・中学校を始め、郡下十数校の校医を務めました。1964年(昭和39)に教育委員長に推され、1967年(昭和42)10月には、南安曇地教委連絡協議会の会長を務め、郡下の教育行政を推進しました。1978年(昭和53)2月、65歳で病死しました。
略歴譜
1912年(大正元) | 堀金田尻に生まれる。 |
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松本中学校(現深志高等学校)から慈恵会医科大学へ進学する。 | |
1941年(昭和16) | 卒業と同時に、慈恵会病院眼科教室助手となり、日本橋の村上眼科病院副院長として勤務する。 |
1948年(昭和23) | 生家で眼科医を開業する。 |
豊科に分院を開いて、夫人と共に診療に当りながら、研究論文に取り組む。 | |
1956年(昭和31) | 教育委員に選任され、以来1971年まで4期15年間、村の教育行政の中心となり、小学校校舎の改築等を行う。 |
1960年(昭和35) | 「凝視の研究」をまとめて医学博士号を受証し、珍しい論文として海外に紹介される。 |
この間、堀金小・中学校を始め、郡下十数校の校医を務める。 | |
1964年(昭和39) | 教育委員長に推され、文部省の教育事情視察団の一員として、ヨーロッパ4か国を旅行する。 |
1967年(昭和42)10月 | 南安曇地教委連絡協議会の会長を兼ね、郡下の教育行政の推進に努める。 |
1975年(昭和50) | 長野県学校保健会から表彰を受け、堀金村から功労章を受ける。 |
1978年(昭和53)2月 | 病死。 |
参考文献
堀金村誌 | 堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編 | 安曇野市図書館 |
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