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臼井 二尚|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052112 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新

臼井 二尚写真

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 臼井 二尚

 うすい じしょう

 哲学を西田幾多郎に学び、社会学を究め、京都大学名誉教授となる。その後、数々の大学の教授を勤め、日本社会学会会長等の要職に就き、活躍した。

生年月日 1900年(明治33)
没年月日 1991年(平成3)3月
関連地域 堀金田尻
職業・肩書 社会学者
活躍年 昭和時代
ゆかりの分野 文化(教育)

経歴

 堀金田尻に生まれました。1926年(大正15)に、京都帝国大学(現京都大学)文学部社会学科に入学し、哲学を西田幾多郎に学びました。卒業後は、文学部の講師となり、社会学を担当しました。1930年(昭和5)から2年間、社会学研究のため、ドイツ・フランス・アメリカ等に在留しました。帰国後、京都帝国大学助教授となり、社会学を担当し、1944年(昭和19)に教授となりました。1945年(昭和20)には、論文「社会と民族」によって文学博士の称号を受け、正五位に叙せられました。1963年(昭和38)に京都大学名誉教授となり、その後、関西大学教授・帝塚山大学教授・仏教大学教授等を務めました。この間、京都哲学会委員・日本社会学会理事・同常任理事・同会長・京都帝国大学人文科学研究所兼任所員・日伊学術委員会委員等の要職に就き、活躍しました。1991年(平成3)3月、90歳で死去しました。

略歴譜

1900年(明治33) 堀金田尻に生まれる。
1926年(大正15) 京都帝国大学文学部社会学科に入学し、哲学を西田幾多郎に学ぶ。
1928年(昭和3) 京都帝国大学文学部社会学科を卒業し、文学部の講師となり、社会学を担当する。
1930年(昭和5) 社会学研究のため、ドイツ・フランス・アメリカ等に在留する。
1932年(昭和7) 帰国後、京都帝国大学助教授となり、社会学を担当する。
1944年(昭和19) 京都帝国大学文学部教授となる。
1945年(昭和20) 論文「社会と民族」によって文学博士の称号を受け、正五位に叙せられる。文学部長となる。
1963年(昭和38) 京都大学名誉教授となる。次いで、大谷大学教授となる。
1965年(昭和40) 関西大学教授となり、初代社会部長を勤める。 
1971年(昭和46) 教育功労者として勲二等旭日重光章を受ける。
1972年(昭和47) 帝塚山大学教授・仏教大学教授に就任する。
  日本社会学会理事・同会長・京都帝国大学人文科学研究所兼任所員・日伊学術委員会委員等数々の要職に就く。
1991年(平成3)3月 死去。

参考文献

堀金村誌 堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編 安曇野市図書館

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