臼井 文雄|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052113 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
臼井 文雄
うすい ふみお
数々の農業関連の要職に就いた後、郡農協合併研究委員長を経て、あづみ農業協同組合初代理事長に就任し、合併後の運営に尽力して、組合の基盤づくりに大きく貢献する。
生年月日 | 1899年(明治32) |
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没年月日 | 1983年(昭和58)11月 |
関連地域 | 堀金田尻 |
職業・肩書 | 農業振興功労者 |
活躍年 | 昭和時代 |
ゆかりの分野 | 経済(産業) |
経歴
堀金田尻に臼井貞吉の長男として生まれました。評論家臼井吉見の実兄に当ります。1917年(大正6)、松本歩兵50連隊に現役兵として入営し、翌年、シベリアに出征して、ウラジオストックやハバロフスク周辺に出動しました。除隊後は、耕地総代・軍人分会役員・蚕業団体役員等を務めました。1947年(昭和22)に、三田村農地委員・農業会理事に推され、翌1948年(昭和23)には三田村農業協同組合長に就任し、1966年(昭和41)まで務めました。この間、三田村教育委員に選出された後、郡農協合併研究委員長に推され、各農協の取りまとめに当りました。そして、1966年(昭和41)、あづみ農業協同組合が発足し、同組合の初代理事長に就任し、合併後の運営に尽力して、あづみ農協の基盤づくりに大きく貢献しました。額に汗する精農家として生涯を貫きましたが、1983年(昭和58)に84歳で死去しました。県農協緑色功労賞を受賞しています。
略歴譜
1899年(明治32) | 堀金田尻に臼井貞吉の長男として生まれる。評論家臼井吉見の実兄に当る。 |
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1917年(大正6) | 松本歩兵50連隊に現役兵として入営する。 |
1918年(大正7) | シベリアに出征して、ウラジオストックやハバロフスク周辺に出動する。 |
除隊後は、耕地総代・軍人分会役員・蚕業団体役員等を務める。 | |
1947年(昭和22) | 三田村農地委員・農業会理事に推される。 |
1948年(昭和23) | 三田村農業協同組合長に就任し、1966年(昭和41)まで務める。 |
1953年(昭和28) | 三田村教育委員に選出される。 |
1963年(昭和38) | 郡農協合併研究委員長に推され、各農協の取りまとめに当る。 |
1966年(昭和41) | あづみ農業協同組合が発足し、同組合の初代理事長に就任し、合併後の運営に尽力して同組合の基盤をつくる。 |
精農家として生涯を貫く。一番の趣味は「大相撲」であった。 | |
1983年(昭和58)11月 | 死去。 |
県農協緑色功労賞を受賞する。 |
参考文献
堀金村誌 | 堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編 | 安曇野市図書館 |
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