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猿田 源弥|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052116 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

猿田 源弥

猿田 源弥写真

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 さるた げんや

 寺子屋師匠から近代学校教師に。

生年月日 1843年(天保14)
没年月日 1912年(明治45)1月
関連地域 堀金(田多井)
職業・肩書 教育功労者
活躍年 明治時代
ゆかりの分野 文化(教育)

経歴

 堀金田多井に生れました。1863年(文久3)、20歳のとき寺子屋師匠になって、自宅で漢籍回書法を教授しました。就いて学ぶ者が多く、書を能くして手本を自ら書いて与え、温情をもって子弟を養育しました。1872年(明治5)に学制発布となり、小田多井学校、田多井・田尻の学校を併せた科布学校に勤めました。1886年(明治19)には堀金小学校が発足し、堀金小学校、岩原学校等に奉職し、1907年(明治40)に同校を退職するまで、1863年(文久3)からの寺小屋師匠を含めて、前後44年間の長きにわたって郷里の育英に貢献し、子弟は数千人に及びました。1911年(明治44)、三田村・烏川村の人々が挙って(こぞって)、邸内に彰徳碑を建立して師の徳に報いました。1912年(明治45)1月、69歳で亡くなりました。

略歴譜

1843年(天保14) 0歳 堀金田多井で、父猿田忠次・母よしの長男として生れる。
1863年(文久3) 20歳 寺子屋師匠となり、自宅で漢籍書法を教授。就いて学ぶ者が多く、手本を自ら書き与え、温情をもって子弟を養育する。
1872年(明治5)   学制発布となり、小田多井学校、田多井・田尻の学校を併せた科布学校に勤める。
1886年(明治19)   堀金小学校、岩原学校等に奉職し、1863年(文久3)からの寺小屋師匠を含めて、1907年(明治40)の退職まで44年間にわたり郷里の育英に貢献する。
1911年(明治44)   三田村・烏川村の人々が挙って、邸内に彰徳碑を建立して師の徳に報いる。
1912年(明治45)1月 69歳 亡くなる。

参考文献

堀金村誌 堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編 安曇野市立図書館

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