猿田 源弥|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052116 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
猿田 源弥
さるた げんや
寺子屋師匠から近代学校教師に。
生年月日 | 1843年(天保14) |
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没年月日 | 1912年(明治45)1月 |
関連地域 | 堀金(田多井) |
職業・肩書 | 教育功労者 |
活躍年 | 明治時代 |
ゆかりの分野 | 文化(教育) |
経歴
堀金田多井に生まれました。1863年(文久3)、20歳のとき寺子屋師匠になって、自宅で漢籍書法を教授しました。就いて学ぶ者が多く、書を能くして手本を自ら書いて与え、温情をもって子弟を養育しました。1872年(明治5)に学制発布となり、小田多井学校、田多井・田尻の学校を併せた科布学校に勤めました。1886年(明治19)には堀金小学校が発足し、堀金小学校、岩原学校等に奉職し、1907年(明治40)に同校を退職するまで、1863年(文久3)からの寺小屋師匠を含めて、44年間の長きにわたって郷里の育英に貢献し、子弟は数千人に及びました。1911年(明治44)、三田村・烏川村の人々が挙って(こぞって)、邸内に彰徳碑を建立して師の徳に報いました。1912年(明治45)1月、69歳で亡くなりました。
略歴譜
1843年(天保14) | 堀金田多井で、父猿田忠次・母よしの長男として生まれる。 |
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1863年(文久3) | 寺子屋師匠となり、自宅で漢籍書法を教授。就いて学ぶ者が多く、手本を自ら書き与え、温情をもって子弟を養育する。 |
1872年(明治5) | 学制発布となり、小田多井学校、田多井・田尻の学校を併せた科布学校に勤める。 |
1886年(明治19) | 堀金小学校、岩原学校等に奉職し、1863年(文久3)からの寺小屋師匠を含めて、1907年(明治40)の退職まで44年間にわたり郷里の育英に貢献する。 |
1911年(明治44) | 三田村・烏川村の人々が挙って、邸内に彰徳碑を建立して師の徳に報いる。 |
1912年(明治45)1月 | 死去 |
参考文献
堀金村誌 | 堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編 | 安曇野市立図書館 |
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