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猿田 哲朗|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052118 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

猿田 哲朗

猿田 哲朗写真

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 さるた てつろう

 北穂高小学校校長を勤め、人材の育成に尽力する。後年、南安曇郡誌編纂で「人物誌」主任を務め、郷土資料「堀金」を発刊するとともに、文化財の保護・民俗資料の収集・保管に努め、郷土文化の向上に貢献する。

生年月日 1905年(明治38)
没年月日 1986年(昭和61)9月1日
関連地域 堀金(田多井)
職業・肩書 郷土史研究家
活躍年 昭和時代
ゆかりの分野 文化(教育)

経歴

 堀金田多井に、発明家として知られた父猿田佐門・母たけみの長男として生れました。寺子屋教育と学校教育の功労者猿田源弥の孫に当ります。松本中学校(現松本深志高校)を経て、1926年(昭和1)に長野県師範学校第二部(現信州大学教育学部)を卒業し、東筑摩郡会田尋常高等小学校・堀金小学校・北安曇郡七貴小学校を経て、陸郷小学校教頭・常盤小学校教頭・北穂高小学校校長等を勤め、人材の育成に努めました。家庭の事情により校長を辞し、堀金小学校教諭を10年間精勤した後、村教育委員会より委嘱されて、文化財の保護・民俗資料の収集整理保管等に、10有余年にわたって努めました。1950年(昭和25)、南安曇郡誌編纂事業が発足し、委員として参画、「人物誌」分野の主任として郡誌を完成に導きました。1962年(昭和37)、郷土資料「堀金」を発刊し、郷土史研究の貴重な資料として、多くの史家より絶賛されました。

略歴譜

1905年(明治38) 0歳 堀金田多井に、発明家の父猿田佐門・母たけみの長男として生れ、寺子屋と学校教育の功労者猿田源弥の孫に当る。
    松本中学を経て、長野県師範学校第二部に進学する。
1926年(昭和1)   長野県師範学校第二部を卒業し、東筑摩郡会田尋常高等小学校に勤める。
    常盤小学校教頭として勤めた後、南安曇郡北穂高小学校校長として人材の育成に努める。
    堀金小学校教諭として10年間精勤する。
    村教育委員会より委嘱されて、学校図書館の充実・文化財の保護・民俗資料の収集整理保管等に、10有余年にわたって努める。
1950年(昭和25)   南安曇郡誌編纂事業が発足し、委員として参画、「人物誌」分野の主任として郡誌を完成に導く。
    郷土史研究家として活躍を続け、有線放送で「堀金村の歴史」を1年半にわたって放送する。
1962年(昭和37)   郷土資料「堀金」を発刊し、1977年(昭和52)まで「堀金村の原始時代」「郷土の偉人」「堀金学校の沿革」等を毎号掲載する。
    郷土資料「堀金」は、郷土史研究の貴重な資料として、多くの史家より絶賛される。
    堀金村文化財保護委員・民俗資料研究主任として、文化財の保護・民俗資料の収集・保管等に尽力する。
1986年(昭和61)9月1日 81歳 亡くなる。

参考文献

堀金村誌 堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編 安曇野市立図書館
信州大学公式ホームページ    

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