猿田 哲朗|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052118 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
猿田 哲朗
さるた てつろう
北穂高小学校校長を勤め、人材の育成に尽力する。後年、南安曇郡誌編纂で「人物誌」主任を務め、郷土資料「堀金」を発刊するとともに、文化財の保護・民俗資料の収集・保管に努め、郷土文化の向上に貢献する。
生年月日 | 1905年(明治38) |
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没年月日 | 1986年(昭和61)9月1日 |
関連地域 | 堀金(田多井) |
職業・肩書 | 郷土史研究家 |
活躍年 | 昭和時代 |
ゆかりの分野 | 文化(教育) |
経歴
堀金田多井に、発明家として知られた父猿田佐門・母たけみの長男として生まれました。寺子屋教育と学校教育の功労者猿田源弥の孫に当ります。松本中学校(現松本深志高校)を経て、1926年(昭和1)に長野県師範学校第二部(現信州大学教育学部)を卒業し、東筑摩郡会田尋常高等小学校・堀金小学校・北安曇郡七貴小学校を経て、陸郷小学校教頭・常盤小学校教頭・北穂高小学校校長等を勤め、人材の育成に努めました。家庭の事情により校長を辞し、堀金小学校教諭を10年間精勤した後、村教育委員会より委嘱されて、文化財の保護・民俗資料の収集整理保管等に関する事業を10有余年にわたって努めました。1950年(昭和25)、南安曇郡誌編纂事業が発足し、委員として参画、「人物誌」分野の主任として郡誌を完成に導きました。1962年(昭和37)、郷土資料「堀金」を発刊し、郷土史研究の貴重な資料収集に尽力しました。
略歴譜
1905年(明治38) | 堀金田多井に、発明家の父猿田佐門・母たけみの長男として生まれ、寺子屋と学校教育の功労者猿田源弥の孫に当る。 |
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松本中学を経て、長野県師範学校第二部に進学する。 | |
1926年(昭和1) | 長野県師範学校第二部を卒業し、東筑摩郡会田尋常高等小学校に勤める。 |
常盤小学校教頭として勤めた後、南安曇郡北穂高小学校校長として人材の育成に努める。 | |
堀金小学校教諭として10年間精勤する。 | |
村教育委員会より委嘱されて、学校図書館の充実・文化財の保護・民俗資料の収集整理保管等に、10有余年にわたって努める。 | |
1950年(昭和25) | 南安曇郡誌編纂事業が発足し、委員として参画、「人物誌」分野の主任として郡誌を完成に導く。 |
郷土史研究家として活躍を続け、有線放送で「堀金村の歴史」を1年半にわたって放送する。 | |
1962年(昭和37) | 郷土資料「堀金」を発刊し、1977年(昭和52)まで「堀金村の原始時代」「郷土の偉人」「堀金学校の沿革」等を毎号掲載する。 |
郷土資料「堀金」は、郷土史研究の貴重な資料として、多くの史家より絶賛される。 | |
堀金村文化財保護委員・民俗資料研究主任として、文化財の保護・民俗資料の収集・保管等に尽力する。 | |
1986年(昭和61)9月1日 | 死去 |
参考文献
堀金村誌 | 堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編 | 安曇野市立図書館 |
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