遠藤 金治|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052123 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
遠藤 金治
えんどう きんじ
郡会議員。信越西線(現大糸線)の敷設に尽力する。
生年月日 | 1872年(明治5)5月5日 |
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没年月日 | 1921年(大正10)4月1日 |
関連地域 | 明科(中村) |
職業・肩書 | 鉄道敷設功労者 |
活躍年 | 明治時代 |
ゆかりの分野 | 社会(交通通信) |
経歴
明科中村に生まれました。陸郷村の学務員を務め、1907年(明治40)に北安曇郡会議員となり、1915年(大正4)まで務めました。その間、信越西線(現大糸線)の敷設に尽力しました。
1909年(明治42)2月、糸魚川より大町・池田を経て明科へ、または松川・穂高を経て松本への構想により期成同盟会を作り、貴衆両院へ敷設を請願しました。同年3月、郡会議員の代表として、他の二人と共に、帝国議会通過を確認するために上京しました。後に、信越西線は安曇鉄道・信濃鉄道と改称され、1913年(大正2)に松本で起工式を挙げました。1916年(大正5)7月には、大糸線が大町まで開通しました。
1921年(大正10)4月1日に、死去しました。
略歴譜
1872年(明治5)5月5日 | 明科中村に生まれる。 |
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陸郷村の学務員を務める。 | |
1907年(明治40) | 1915年(大正4)まで北安曇郡会議員となる。 |
信越西線(現大糸線)の敷設に尽力する。 | |
1909年(明治42)2月 | 糸魚川より大町・池田経由明科へ、または松川・穂高経由松本への構想で期成同盟会を作り、貴衆両院へ敷設を請願する。 |
1909年(明治42)3月 | 郡会議員の代表として、他の二人と共に、帝国議会通過を確認するために上京する。 |
信越西線は、安曇鉄道・信濃鉄道と改称する。 | |
1913年(大正2) | 松本で起工式を挙げる。 |
1916年(大正5)7月 | 大糸線が大町まで開通する。 |
1921年(大正10)4月1日 | 死去。 |
参考文献
明科町史 | 明科町史編纂会/編 | 安曇野市図書館 |
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