遠藤 八志路|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052124 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
遠藤 八志路
えんどう やしろ
村長、県会議員。県道犀川線の開通・木戸橋・睦橋の架橋・道路拡張改修等に尽力する。
生年月日 | 1875年(明治8)11月10日 |
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没年月日 | 1933年(昭和8)10月2日 |
関連地域 | 明科(中村) |
職業・肩書 | 公共事業功労者 |
活躍年 | 昭和時代 |
ゆかりの分野 | 経済(産業) |
経歴
明科中村に、五ヵ用水開発に尽力した丈四郎の孫として生まれました。1915年(大正4)に郡会議員に就任し、1918年(大正7)には陸郷村長となって、1921年(大正10)まで務めました。明科繭糸社長、昭和初年県会議員一期に就任し、1928年(昭和3)10月に、犀川の通船に努力し、1年間明科・新町間の犀川飛行艇の運行にも協力しました。この間、県道犀川線の開通に尽力し、同年に起工となりました。1930年(昭和5)に、木戸橋が永久橋として架橋され、翌1931年(昭和6)には、睦橋が永久橋として架橋されました。また、道路拡張改修工事を各地で行いました。1933年(昭和8)に、土地を寄附して中村公園の開設に尽力しました。同年の10月2日に、死去しました。
略歴譜
1875年(明治8)11月10日 | 明科中村に、五ヵ用水開発に尽力した丈四郎の孫として生まれる。 |
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1915年(大正4) | 郡会議員に就任する。 |
1918年(大正7) | 1921年(大正10)まで、陸郷村長を務める。 |
明科繭糸社長、昭和初年県会議員一期を務める。 | |
1928年(昭和3)10月 | 犀川の通船に努力をし、1年間、明科・新町間の犀川飛行艇の運行にも協力する。 |
1928年(昭和3)12月 | 県道犀川線の開通に尽力し、起工となる。 |
1930年(昭和5) | 木戸橋が永久橋として架橋される。 |
1931年(昭和6) | 睦橋が永久橋として架橋される。 |
道路拡張改修工事を各地で行う。 | |
1933年(昭和8) | 土地を寄附して中村公園の開設に尽力する。 |
1933年(昭和8)10月2日 | 死去。 |
参考文献
明科町史 | 明科町史編纂会/編 | 安曇野市図書館 |
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