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横川 たき|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052126 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新

 横川 たき

 よこかわ たき

 豊科で最初の女教師。裁縫を学んで私塾を開き、後、松本開智学校と上村やまよ女史に学び、裁縫科教員として多くの生徒に慕われた。

生年月日 1858年(安政5)
没年月日 1923年(大正12)2月
関連地域 豊科(下鳥羽)
職業・肩書 教育者
活躍年 明治時代
ゆかりの分野 文化(教育)

経歴

 豊科下鳥羽に生まれました。長じて、松本で裁縫の師匠に学んだ後、裁縫を教える私塾を開きました。教えを受けた人は、近隣数か村に及んだといわれます。後、松本開智学校に学び、上村やまよ女史に学んで、造花・編み物・手芸を専攻しました。
1885年(明治18)に豊科学校裁縫科教員、続いて豊科組合高等小学校に奉職しました。豊科で最初の女教師となり、24年間一貫して温良貞淑な、親しみやすい教師として、多くの生徒に慕われました。1909年(明治42)に退職しました。
1923年(大正12)2月、65歳で東京桜が丘の寓居で亡くなりました。
1938年(昭和13)5月、当時の豊科尋常高等小学校校庭に、恩師をしのぶ人々によって頌徳(しょうとく)碑が建てられました。

略歴譜

1858年(安政5) 豊科下鳥羽に生まれる。
  松本で裁縫の師匠に学ぶ。
  裁縫を教える私塾を開く。教えを受けた人は、近隣数か村に及ぶ。
  松本開智学校に学ぶ。
  上村やまよ女史に学んで、造花・編み物・手芸を専攻する。
1885年(明治18) 豊科学校裁縫科教員、続いて豊科組合高等小学校に奉職する。
1923年(大正12)2月 東京桜が丘で死去。
1938年(昭和13)5月 当時の豊科尋常高等小学校校庭に、頌徳碑が建てられる。

参考文献

豊科町誌 豊科町誌編纂会/編 安曇野市図書館

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