岡村 末作|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052130 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
岡村 末作
おかむら すえさく
進歩的で科学的な経営方針・組合員の団結力・自身の熱意によって、県下髄一といわれた吉野養蚕組合を作り上げ、蚕業に尽力する。
生年月日 | 1875年(明治8) |
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没年月日 | 1945年(昭和20) |
関連地域 | 豊科(吉野) |
職業・肩書 | 蚕業功労者 |
活躍年 | 明治時代 |
ゆかりの分野 | 経済(産業) |
経歴
豊科吉野に生まれました。若い頃から養蚕に従事し、県下にさきがけて吉野養蚕組合設立を提唱し、嘱望(しょくぼう)されて組合長となりました。桑苗の改良・蚕種の改良普及・飼育技術の向上を目標に掲げて努力し、短期間のうちに10数人から80数人の組合員を擁する組合に発展しました。それは、進歩的で科学的な経営方針・組合員の団結力・末作の熱意によるといわれ、県下随一の模範組合として参観者が後を絶たず、養蚕組合といえば吉野養蚕組合といわれるほどでした。組合振興に対する功績で、大日本蚕糸会総裁宮殿下から功績章を授与され、また、皇居紅葉山御養蚕所拝観の栄誉にも浴しました。後に信用販売購買組合(現在の農業協同組合)を豊科に設置して経営に当り、献身的な努力をしました。明治後期には、34歳で推されて豊科村会議員となり、37歳からは郡会議員になり、3期地方自治のために働きました。1945年(昭和20)に、70歳で死去しました。
略歴譜
1875年(明治8) | 豊科吉野に生まれる。 |
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明治 | 吉野養蚕組合設立を提唱し、嘱望されて組合長となる。 |
同組合は、進歩的で科学的な経営方針・組合員の団結力・末作の熱意により、短期間のうちに10数人から80数人の組合員を擁する組合に発展する。 | |
組合振興に対する功績で、大日本蚕糸会総裁宮殿下から功績章を授与される。 | |
皇居紅葉山御養蚕所拝観の栄誉にも浴す。 | |
信用販売購買組合(現在の農業協同組合)を豊科に設置して経営に当り、献身的な努力をする。 | |
明治後期 | 推されて豊科村会議員となる。 |
郡会議員として3期地方自治のために働く。 | |
1945年(昭和20) | 死去。 |
参考文献
豊科町誌 | 豊科町誌編纂会/編 | 安曇野市図書館 |
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