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岡村 末作|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052130 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

岡村 末作

 おかむら すえさく

 進歩的で科学的な経営方針・組合員の団結力・末作の熱意によって、県下髄一といわれた吉野養蚕組合を作り上げ、蚕業に尽力する。

生年月日 1875年(明治8)
没年月日 1945年(昭和20)
関連地域 豊科(吉野)
職業・肩書 蚕業功労者
活躍年 明治時代
ゆかりの分野 経済(産業)

経歴

  豊科吉野に生れました。若い頃から養蚕に従事し、県下にさきがけて吉野養蚕組合設立を提唱し、嘱望(しょくぼう)されて組合長となりました。桑苗の改良・蚕種の改良普及・飼育技術の向上を目標に掲げて努力し、短期間のうちに10数人から80数人の組合員を擁する組合に発展しました。それは、進歩的で科学的な経営方針・組合員の団結力・末作の熱意によるといわれ、県下随一の模範組合として参観者が後を絶たず、養蚕組合といえば吉野養蚕組合といわれるほどでした。組合振興に対する功績で、大日本蚕糸会総裁宮殿下から功績章を授与され、また、皇居紅葉山御養蚕所拝観の栄誉にも浴しました。後に信用販売購買組合(現在の農業協同組合)を豊科に設置して経営に当り、献身的な努力をしました。明治後期には、34歳で推されて豊科村会議員となり、37歳からは郡会議員になり、3期地方自治のために働きました。1945年(昭和20)に、70歳で亡くなりました。

略歴譜

1875年(明治8) 0歳 豊科吉野に生れる。
明治   吉野養蚕組合設立を提唱し、嘱望されて組合長となる。
    進歩的で科学的な経営方針・組合員の団結力・末作の熱意により、短期間のうちに10数人から80数人の組合員を擁する組合に発展する。
    組合振興に対する功績で、大日本蚕糸会総裁宮殿下から功績章を授与される。
    皇居紅葉山御養蚕所拝観の栄誉にも浴す。
    信用販売購買組合(現在の農業協同組合)を豊科に設置して経営に当り、献身的な努力をする。
明治後期 34歳 推されて豊科村会議員となる。
  37歳 郡会議員として3期地方自治のために働く。
1945年(昭和20) 70歳 亡くなる。

参考文献

豊科町誌 豊科町誌編纂会/編 安曇野市立図書館

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