下里 庄助|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052134 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
下里 庄助
しもさと しょうすけ
寺子屋師匠の後、押野上学校の教員となる。
生年月日 | 1808年(文化5)11月15日 |
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没年月日 | 明治初年 |
関連地域 | 明科(上押野) |
職業・肩書 | 教育者 |
活躍年 | 明治時代 |
ゆかりの分野 | 文化(教育) |
経歴
明科上押野に生まれました。岩村田藩士で耕山と号しました。下里三郎の家に寄寓し、後に故あって下里を名乗りました。高嶋東水(耕坦)の門人となり、漢学に精しく、天文暦法、音韻算数、国学に通じていました。まわりのもとめに応じて寺子屋師匠となり、1873年(明治6)10月には、64歳で押野上学校の教員となりました。亡くなって後、1876年(明治9)5月に門弟が筆塚を建てました。
略歴譜
1808年(文化5)11月15日 | 明科上押野に生まれる。 |
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岩村田藩士で耕山と号す。 | |
高嶋東水(耕坦)の門人となり、漢学に精しく、天文暦法、音韻算数、国学に通ずる。 | |
需めに応じて寺子屋師匠となる。 | |
1873年(明治6)10月 | 押野上学校の教員となる。 |
明治初年 | 死去 |
1876年(明治9)5月 | 門弟が筆塚を建てる。 |
参考文献
明科町史 | 明科町史編纂会/編 | 安曇野市立図書館 |
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