下里 豊|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052136 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
下里 豊
しもさと ゆたか
上川手村助役として村政に尽力する。漢詩・和歌をたしなみ、姓名学・易学を学び、書を能(よ)くして、近隣・近郷の人々のために尽す。
生年月日 | 1879年(明治12)1月4日 |
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没年月日 | 1960年(昭和35)2月23日 |
関連地域 | 明科(中条) |
職業・肩書 | 漢学者・書家 |
活躍年 | 昭和時代 |
ゆかりの分野 | 文化(文芸) |
経歴
明科中条の甚兵衛の孫、父甚一郎の長男として生まれました。学業を終えて後、漢学者田原先生に師事して漢学を修めました。長野県巡査として勤務し、日露戦争に従軍して、二〇三高地、奉天の戦等に加わり、1905年(明治38)11月に凱旋(がいせん)しました。1926年(大正15)1月には上川手村助役となり、1930年(昭和5)1月まで勤めました。
退職後は、農業の傍ら行政書士を業としました。漢詩・和歌をたしなみ、姓名学・易学を学び、近隣の相談相手や名付け親としても有名となりました。書を能(よ)くし、汝南亭北溟(じょなんていほくめい)と号し、近郷の愛好者の所望に応じて揮毫しました。1960年(昭和35)2月23日に死去。
略歴譜
1879年(明治12)1月4日 | 明科中条の甚兵衛の孫、父甚一郎の長男として生まれる。 |
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学業を終えて後、漢学者田原先生に師事して漢学を修める。 | |
長野県巡査として勤務する。 | |
日露戦争に従軍し、二〇三高地、奉天の戦等に加わる。 | |
1905年(明治38)11月 | 凱旋する。 |
1926年(大正15)1月 | 上川手村助役を、1930年(昭和5)1月まで勤める。 |
退職後は農業の傍ら行政書士を業とする。 | |
漢詩・和歌をたしなみ、姓名学・易学を学び、近隣の相談相手や名付け親としても有名となる。 | |
書を能くし、汝南亭北溟と号し、近郷の愛好者の所望に応じて揮毫する。 | |
作品「光陰如矢只忽忽、月雪花焉夢幻中 日暮前途猶程遠、凡夫未悟奈阿蒙」を残す。 | |
作品「一とつかみはこべの青みきりまぜて、鶏にゑさやる七草の朝」を残す。 | |
1960年(昭和35)2月23日 | 死去 |
参考文献
明科町史 | 明科町史編纂会/編 | 安曇野市立図書館 |
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