花村 四郎|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052138 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
花村 四郎
はなむら しろう
鳩山一郎らと自由党を創立した弁護士。法務大臣になる。
生年月日 | 1891年(明治24) |
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没年月日 | 1963年(昭和38)7月 |
関連地域 | 豊科(光) |
職業・肩書 | 弁護士・大臣・国会議員 |
活躍年 | 昭和時代 |
ゆかりの分野 | 政治(政治) |
経歴
豊科光に生れました。1917年(大正6)に、日本大学法科を卒業、1919年(大正8)に弁護士となりました。1925年(大正14)、香川県で起きた伏石事件の弁護に当り、その力量・手腕が認められ、翌年に日本弁護士会協会理事、1927年(昭和2)には、東京弁護士会副会長に推され、在野司法の重鎮となりました。1932年(昭和7)以来、東京市会議員及び府会議員に5回当選し、大きな功績を残しました。1942年(昭和17)、翼賛選挙で衆議院議員に当選し、述べ8回18年勤めました。1946年(昭和21)に文部参与官となり、1947年(昭和22)に民主自由党総務等に推され、自由党創立に活躍しました。後に法務委員長・弾劾裁判所裁判長・両院法規委員長に選ばれました。1954年(昭和29)12月には法務大臣となり、人権伸張・法務行政の民主化に尽力しました。
略歴譜
1891年(明治24) | 豊科光の哥吉の二男に生れる。 |
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1919年(大正8) | 弁護士となる。 |
1925年(大正14) | 香川県の伏石事件の弁護に当る。 |
1926年(大正15) | 日本弁護士会協会理事となる。 |
1927年(昭和2) | 東京弁護士会副会長に推され、在野司法の重鎮となる。 |
1932年(昭和7) | 東京市会議員及び府会議員に当選し、以降5回当選し、東京市政・府政の刷新を画作し、その発展に大きな功績を残す。 |
1942年(昭和17) | 翼賛選挙で衆議院議員に当選する。以降8回当選し18年勤める。 |
1946年(昭和21) | 文部参与官となる。 |
1949年(昭和24) | 法務委員長に選任されて、翌年まで勤め、同委員会の運営に当り、鳩山一郎・河野一郎等と自由党を創立する。 |
1952年(昭和27) | 弾劾裁判所裁判長・両院法規委員長に選ばれる。 |
1954年(昭和29)12月 | 法務大臣となり、人権伸張・法務行政の民主化に尽力する。 |
1963年(昭和38)7月 | 病気のため亡くなる。生前の功績により、正三位勲一等に叙せられる。 |
参考文献
南安曇郡誌第三巻下 | 南安曇郡誌改訂編纂会/編 | 安曇野市図書館 |
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豊科町誌 | 豊科町誌編纂会/編 | 安曇野市図書館 |