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花村 四郎|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052138 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

花村 四郎

花村 四郎写真

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 はなむら しろう

 鳩山一郎らと自由党を創立した弁護士。法務大臣になる。

生年月日 1891年(明治24)
没年月日 1963年(昭和38)7月
関連地域 豊科(光)
職業・肩書 弁護士・大臣・国会議員                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            
活躍年 昭和時代
ゆかりの分野 政治(政治)

経歴

 豊科光に生れました。1917年(大正6)に、日本大学法科を卒業、1919年(大正8)に弁護士となりました。1925年(大正14)、香川県で起きた伏石事件の弁護に当り、その力量・手腕が認められ、翌年に日本弁護士会協会理事、1927年(昭和2)には、東京弁護士会副会長に推され、在野司法の重鎮となりました。1932年(昭和7)以来、東京市会議員及び府会議員に5回当選し、大きな功績を残しました。1942年(昭和17)、翼賛選挙で衆議院議員に当選し、述べ8回18年勤めました。1946年(昭和21)に文部参与官となり、1947年(昭和22)に民主自由党総務等に推され、自由党創立に活躍しました。後に法務委員長・弾劾裁判所裁判長・両院法規委員長に選ばれました。1954年(昭和29)12月には法務大臣となり、人権伸張・法務行政の民主化に尽力しました。

略歴譜

1891年(明治24) 0歳 豊科光の哥吉の二男に生れる。
1919年(大正8)   弁護士となる。
1925年(大正14)   香川県の伏石事件の弁護に当る。
1926年(大正15)   日本弁護士会協会理事となる。
1927年(昭和2)   東京弁護士会副会長に推され、在野司法の重鎮となる。
1932年(昭和7)   東京市会議員及び府会議員に5回当選し、東京市政・府政の刷新を画作し、その発展に大きな功績を残す。
1942年(昭和17)   翼賛選挙で衆議院議員に当選する。8回当選し18年勤める。
1946年(昭和21)   文部参与官となる。
1949年(昭和24)   法務委員長に選任されて、翌年まで勤め、同委員会の運営に当り、鳩山一郎・河野一郎等と自由党を創立する。
1952年(昭和27)   弾劾裁判所裁判長・両院法規委員長に選ばれる。
1954年(昭和29)12月   法務大臣となり、人権伸張・法務行政の民主化に尽力する。
1963年(昭和38)7月 72歳 病気のため亡くなる。生前の功績により、正三位勲一等に叙せられる。

参考文献

南安曇郡誌第三巻下 南安曇郡誌改訂編纂会/編 安曇野市立図書館
豊科町誌 豊科町誌編纂会/編 安曇野市立図書館

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