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臥雲 辰致|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052139 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新

臥雲 辰致写真

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 臥雲 辰致

 がうん たっち

 綿糸紡績機(ガラ紡績)の発明。

生年月日 1842年(天保13)
没年月日 1900年(明治33)6月29日
関連地域 堀金(小田多井)
職業・肩書 発明家
活躍年 明治時代
ゆかりの分野 文化(学術思想)

経歴

  堀金小田多井に生まれ、幼名は栄弥といいました。農家の副業の足袋底織業の手伝いを機に、紡績機の発明に専念しました。1863年(文久3)に、安楽寺に入寺し7年間修業後、安楽寺の末寺臥雲山孤峰院の住持となりましたが、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって還俗して臥雲辰致と名乗りました。1871年(明治4)に、外国綿業の進出に対抗するため、紡績機の発明への情熱が再燃しました。1873年(明治6)に、足袋底に用いる太糸紡績機を発明しました。この機械は急速に全国へ普及しました。翌年、細糸用の機械の改造に成功し、松本北深志町に連綿社を設立しました。1877年(明治10)には、わが国初の内国勧業博覧会で最高の鳳紋賞牌を受けました。1891年(明治24)、三河から波田へ定住し紡績機の改良等を行いました。

略歴譜

1842年(天保13) 堀金小田多井の横山儀十郎の次男に生まれる。
  農家の副業の足袋底織業の手伝いを機に、紡績機の発明に専念する。
1863年(文久3) 安楽寺に入寺し、7年間修業後、安楽寺の末寺臥雲山孤峰院の住持となる。
1871年(明治4) 外国綿業の進出に対抗するため、紡績機の発明への情熱が再燃する。
1873年(明治6) 足袋底に用いる太糸紡績機を発明し、急速に全国へ普及する。
1875年(明治8) 綿糸紡績機の専売特許を得る。後に模造の続出により事業が縮小する。
1876年(明治9) 細糸用の機械の改造に成功し、松本北深志町に連綿社を設立する。
1877年(明治10) わが国初の内国勧業博覧会で、最高の鳳紋賞牌を受ける。
1881年(明治14) 第二回内国勧業博覧会で、進歩二等賞を受賞。博覧会審査長佐野常民の支援で、優秀な紡機を完成させる。
1882年(明治15) 8回の改良を行い、藍綬褒賞を受賞する。
1891年(明治24) 三河から波田村に定住する。紡績機の改良のほか、七桁計算機・土地測量機・蚕網織機の新考案も完成させる。
1900年(明治33)6月29日 病死。

参考文献

南安曇郡誌第三巻下 南安曇郡誌改訂編纂会/編    安曇野市図書館
堀金村誌 堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編 安曇野市図書館

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