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臥雲 辰致|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052139 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

臥雲 辰致

臥雲 辰致写真

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 がうん たっち

 綿糸紡績機の発明(ガラ紡績)。

生年月日 1842年(天保13)
没年月日 1900年(明治33)6月29日
関連地域 堀金(小田多井)
職業・肩書 発明家
活躍年 明治時代
ゆかりの分野 文化(学術思想)

経歴

  堀金小田多井に生れ、幼名は栄弥といいました。農家の副業の足袋底織業の手伝いを機に、紡績機の発明に専念しました。1863年(文久3)に、安楽寺に入寺し7年間修業後、安楽寺の末寺臥雲山孤峰院の住持となりましたが、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)となり、還俗して臥雲辰致と名乗りました。1871年(明治4)に、外国綿業の進出に対抗するため、紡績機の発明が再燃しました。1873年(明治6)に、足袋底に用いる太糸紡績機を発明して、急速に全国へ普及しました。翌年、細糸用の機械の改造に成功し、松本北深志町に連綿社を設立しました。1877年(明治10)には、わが国初の内国勧業博覧会で最高の鳳紋賞牌を受けました。1891年(明治24)、三河から波田へ定住し紡績機の改良等を行いました。

略歴譜

1842年(天保13) 0歳 堀金小田多井の横山儀十郎の次男に生れる。
  4歳 農家の副業の足袋底織業の手伝いを機に、紡績機の発明に専念する。
1863年(文久3) 20歳 安楽寺に入寺し、7年間修業後、安楽寺の末寺臥雲山孤峰院の住持となる。
1871年(明治4)   外国綿業の進出に対抗するため、紡績機の発明が再燃する。
1873年(明治6)   足袋底に用いる太糸紡績機を発明し、急速に全国へ普及する。
1875年(明治8)   綿糸紡績機の専売特許を得る。後に模造の続出により事業が縮小する。
1876年(明治9)   細糸用の機械の改造に成功し、松本北深志町に連綿社を設立する。
1877年(明治10)   わが国初の内国勧業博覧会で、最高の鳳紋賞牌を受ける。
1881年(明治14)   第二回内国勧業博覧会で、進歩二等賞を受賞。博覧会審査長佐野常民の支援で、優秀な紡機を完成させる。
1882年(明治15)   8回の改良を行い、藍綬褒賞を受賞する。
1891年(明治24)   三河から波田村に定住する。紡績機の改良のほか、七桁計算機・土地測量機・蚕網織機の新考案も完成させる。
1900年(明治33)6月29日 58歳 病気のため亡くなる。

参考文献

南安曇郡誌第三巻下 南安曇郡誌改訂編纂会/編    安曇野市立図書館
堀金村誌 堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編 安曇野市立図書館

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