快龍|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052141 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
快龍
かいりゅう
上生野の観音堂の住職となり、手習い師匠をし尊敬される。
生年月日 | 不詳 |
---|---|
没年月日 | 1779年(安永8)10月2日 |
関連地域 | 明科(上生野) |
職業・肩書 | 住職 |
活躍年 | 江戸時代以前 |
ゆかりの分野 | 文化(宗教) |
経歴
明和、安永の頃、奥州南宗寺から旧縁の望月氏を頼って来ました。明科上生野の観音堂に住み、勤行の余暇に村民を集めて手習師匠をし、尊敬されました。かつては、藩主の師匠もしたほどの僧であったと伝えらています。
1779年(安永8)10月2日に死去。門人17人が弥堂地(みどうじ)に墓を建てました。
略歴譜
明和、安永の頃、奥州南宗寺から旧縁の望月氏を頼って来る。 | |
明科上生野の観音堂に住み、勤行の余暇に村民を集めて手習師匠をし、尊敬される。 | |
かつては、藩主の師匠もしたほどの僧であったと伝えられる。 | |
1779年(安永8)10月2日 | 死去。門人17人が弥堂地に墓を建てる。 |
参考文献
明科町史 | 明科町史編纂会/編 | 安曇野市図書館 |
---|