丸山 英一郎|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0051994 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
丸山 英一郎
まるやま えいいちろう
南安曇郡長、県議。
生年月日 | 1851年(嘉永4) |
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没年月日 | 1901年(明治34) |
関連地域 | 豊科(本村) |
職業・肩書 | 自治功労者 |
活躍年 | 明治時代 |
ゆかりの分野 | 政治(政治) |
経歴
豊科本村に生れました。少年時代は、藩の学者について、漢学・数学を学びました。1874年(明治7)に、豊科村副戸長となって実務を修得しました。1878年(明治11)には、地租改正郡村総代に選ばれ、各地に出張して実地調査に当りました。翌年に、京都の茂松法学社に入学し、2年間法律を学びました。1881年(明治14)に、長野県会議員に当選して帰郷し、松本の市川量造や上伊那の村上伝五郎らと筑摩県の再設置を請願しました。翌年には、下水内郡長・南安曇郡長等を歴任して地方行政に貢献しました。1890年(明治23)から、松本貯蓄銀行・南安銀行・長野農工銀行の創立に尽力して重役となり、また、豊科税務署管内所得税調査委員・松本税務署管内所得税審査委員等を勤め、税務の公平に尽力しました。晩年は、立憲政友会の重鎮として、同党南信支部幹事となって活躍しました。
略歴譜
1851年(嘉永4) | 豊科本村に生れる。実業家丸山盛雄の父に当る。 |
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少年時代は藩の学者について、漢学・数学を学ぶ。 | |
1874年(明治7) | 豊科村副戸長となって実務を修得する。 |
1878年(明治11) | 地租改正郡村総代に選ばれ、各地に出張して実地調査に当った。 |
1879年(明治12) | 京都の茂松法学社に入学し、2年間法律を学ぶ。 |
1881年(明治14) | 長野県会議員に当選し帰郷する。松本の市川量造、上伊那の村上伝五郎らと筑摩県の再設置を請願する。 |
1882年(明治15) | 下水内郡長・南安曇郡長等を歴任し、地方行政功労者として正七位に叙せられる。 |
1890年(明治23) | 父親の逝去により、県会議員を辞職し郷里に帰り、実業界で活躍する。 |
豊科税務署管内所得税調査委員・松本税務署管内所得税審査委員等を勤め、税務の公平に尽力する。 | |
晩年、立憲政友会南信支部幹事となって、活躍する。 | |
1901年(明治34) | 病気のため亡くなる。 |
参考文献
南安曇郡誌第三巻下 | 南安曇郡誌改訂編纂会/編 | 安曇野市立図書館 |
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豊科町誌 | 豊科町誌編纂会/編 | 安曇野市立図書館 |